演劇事始

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爪を立て、生活にしがみつく――『しあわせの絵の具』

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ちいさなお家で生きた人達

「しあわせの絵の具」を観た。
サリー・ホーキンスイーサン・ホークの静かな演技力のぶつけ合いが凄まじい映画。

親戚の家に身を寄せ、肩身の狭い思いをしていたモード(サリー・ホーキンス)が、「家政婦募集」の貼り紙を見て、魚売りのエヴェレット(イーサン・ホーク)の家に行き、自分を雇ってくれと頼み、衝突を繰り返しながらも2人は夫婦になっていく。
やがてモードが描いていた絵が認められ・・・・・・というお話。

モード(サリー・ホーキンス)は最初、エヴェレットの「家政婦」として雇われ、本当にびっくりするほど酷いことを何度も彼に言われたり、「物」として扱うような態度をとられるわけです。
この映画は特に年月を明示しないのだけど、暮らし始めて暫く経ったと思われる頃、モードの絵を買いに来た女性と彼が話すシーンでそれが変化する。
いくつかの絵の中から、女性が「買いたい」といった絵を、モードは縋り付くように見る。何か理由があって絵を売りたくないのだ、ということが観客には分かる(この時、モードは直接的な拒否もしないし、仕草ではっきりそれを示すわけでもないが、サリー・ホーキンスの細やかな演技はとても雄弁にモードの心情を物語る)。
そして、モードがはっきり口にしなくても、彼女の魂が守ろうとしているものをエヴェレットはすぐに察して、同じようにそれを守ろうとする。
二人の過ごす年月の中には、正しいことも、怒りも悲しみも喜びも、正しくないことも全てがあって、それを私達は一時だけ覗き見させてもらっている気分になる。

私が大好きなシーンは静かなダンスのシーンなんですけど、本当にこの映画は視線(カメラの視線、モードの人を斜め下から見上げるような独特な目のやり方、口下手なエヴェレットが誰かを真っ直ぐ見る目)が雄弁に語る映画で、脚の様子だけでこの二人はお互いでなければならなかった事を語るんですよね。

正しくはないのかもしれないし、劇的ではないのかもしれない。奇跡が起こってエヴェレットの尊大な態度が急に変わるわけでもないし、モードの人柄があるきっかけで変化するわけでもない。
そうなんだけど、この二人はかのように生きて、かのように支え合ったということだけが確かに残る映画なんです。

“ほっこり”、“癒し系”、“うつくしい夫婦の絆”といった内容を予想して行くと、ものすごく生々しく、我々も現実に目にするような痛みや無理解、コミュニケーションの取れなさやもどかしさ、そこに一筋差し込む光のような美しいものを丸ごと胸に投げつけてくる作品。
それって、ものすごく単純に言えば「人生」そのものなんですけど、実在の人物を描く上でこの上なく誠実なアプローチだったんじゃないのかなと思います。
あそこには人生があって、私も一時だけカナダの小さいおうちの中でモードとエヴェレットと暮らした気分になれたよ。
本当に公開してくれてありがとう。


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0:36くらいで「妻が絵を描いている間、気を利かせて掃除するけど『絵に埃がつく』とドアを目の前で閉められてキョトンとした顔をするイーサン・ホーク」という最高の場面が見られます。

あと、本編中ずっと紅茶を淹れるのがしぬほど下手くそなエヴェレットも必見です。そのティーバッグはそろそろ捨てよう。