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電話は続くよどこまでも――『フリー・コミティッド』


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人生の大事な場面は案外、地下室で決まっている


『フリー・コミティッド』(2018.07.16 14時~@DDD 青山クロスシアター)

 

※公演内容のネタバレを含みます

 

(あらすじ)

俳優だがそれだけでは食べていけないため、NYの人気レストランで予約受付係をしてるサム(成河)が主人公。

オーディションの最終選考の結果がどうなったかそわそわと電話を待っていたり、上司も同僚も出勤してこなくて一人で電話を捌かなくちゃいけなくて大変なことになったり、自分の帰省(舞台はクリスマスの2週間前くらい?)を待っている父親や兄に応対したり、個性豊かな電話相手の注文に翻弄されたりする。

 

レストラン地下の予約受付室でひっきりなしに鳴る電話を取り、電話口の相手も成河さんが声色・仕草などで演じ分ける。大人気レストラン(政治の場であり、社交の場)の席が地下にいるサムの匙加減ひとつで決まる、というギャップは面白い。

 

これ、都会で仕事をしている人は特に身に詰まされる話なんだと思う。

何かを「選ぶ」ことには精神的なコストがかかる。だからこそ、私たちはよく「選ばない」ことを「選んでいる」。

サムは割とずっと受け身な人で仕事もどうにかやり過ごしている。ところが、中盤のある場面(声がひどくかすれているお客に呼吸法の話をするところ)で彼は急に主体的になる。

それは、彼が予約受付係である前に俳優だから、その仕事をしている人間であるから出来ることをするのだけど、その場面が凄く良くて、あそこで流れが変わったのかな~と思う。それまで散々めんどくさい事態に振り回されていた人が、あそこから主体的に人に関わろうとするんですよね。

お客さんに頼まれていないのに、自分から呼吸法を電話越しに教え、相手の声がうまく出た瞬間、喜びの声を上げるサムの姿に私はなぜだか心が揺れた。

 

何故自分がその場面で心揺れたのか考えてみた。私は対人援助の現場で働いていて、仕事中に「職業に就いている自分」としてでは無く、「ただのわたし(一個人)」としてかかわる瞬間というのが確かにあって、そういう時にしか聞けない相手の言葉もある。

勿論、仕事なのでずっとそれは続けられないのだけど、その瞬間があるからこそ後の仕事がとてもうまくいくということがある。サムのあの行動は、予約受付係としての彼ではなく、「彼個人としてやりたい事」を初めて見せてくれたような気がして、それがすごく嬉しかったんだろうと思う。そういう瞬間が見られるのってすごく元気が出るし、明日も仕事を頑張ろうと思えた。

成河さんが

「元の戯曲のままだと悪い奴をやっつけてスカッとする『勝者の物語』、今の日本でそうした物語をやる意味があるのかと思った。だからラストを少し変更した」

と話していた気がするんだけど、私はラストのサムの行動は、「資本主義の社会での『勝者の物語』」にはならない様にできてるなと思った。

あの行動(マフィアが席を都合してもらうために送ってきた大量の100万ドル札から、1枚だけお札をポケットに入れて部屋を出ていく)は、「自分のした仕事に対する対価を『自分で決めた』」というものだと思うので、自分の労働力を貨幣に置き換え「買われる」のが資本主義なのだとしたら、それとはまた違う「勝利」にみえたんですよね。

 

主人公のサムがしている仕事=電話を「取る」のはあくまでかかってきた電話に対応する、という受動的な行為なんだなと思うし、中盤までサムは目の前に差し出された情報を前に、何とかその場を凌ぐために行動するんだけど、段々自分から相手に要望を伝えたりはっきりと拒否したり意思表示をする様になる。

サムは本当は「選ぶ」ことができる側なのに、その力を自覚してなかった。

終盤彼がする行動は自分の立場・その力を利用して「うまくやった」ものであり(それが倫理的にどうなのかはおいておき)少なくとも受動的な行為ではなくなっている。あれをした事で成功が約束されたか、というとそこまでは描かれていないし。戦場に立つ権利をもぎ取ったに過ぎない。

自分自身で考え、主体的に「選んだ」者にしか、その権利は与えられない。そういう話なのかな、と私には思えた。

 

○○をする、という選択より○○はしない、という選択をする方がすごく心理的なコストがかかる気がするし、ときにそれが自分を救ってくれる。

ラスト、鳴り響く電話を取らずに部屋を出ていくサムが、少し誇らしげに見えた。

多分彼はまたあの仕事を続けるんだろうな。周りから「まだその仕事続けてんの?!」って言われながら。

 

私達は自分で思っている以上に、他者から思われ、他者から裏切られ、全然係累のない人からご褒美を受け取って、今日も都会を生きていく。