演劇事始

演劇や映画や、みたものの話

2023年の演劇まとめ:感想とベスト3

2023年に観た演劇(計26本、その内配信が1本)のまとめと感想

年間ベスト3

1位:マチルダ
2位:アナスタシア
3位:SHINE SHOW!

今年は、バンズ・ヴィジットやチェーザレも含め、ミュージカル豊作の年だった。
チルダは原作のシニカルな視点を含めての舞台化で子役の熱演も含め、大変良かった。私が機能不全家族を扱った作品に弱いのもある。
アナスタシアはCOVID-19の流行で一度観る予定が消えてからの念願の舞台。盤石なキャスティングで父権からの解放を描いていたと思う。
SHINE SHOW!は、カラオケ大会を舞台にしているだけあって、歌の場面でのカタルシスがあるのと、とにかくずっと薄っすら面白く、コメディとしてよく出来ていたので選出。

以下、各月に観た演目とその感想です。

1月

守銭奴

確か最前列で観劇。
「リチャード三世」「真夏の夜の夢」を演出したプルカレーテ演出の喜劇。
家の壁がビニールだったり、最後の場面が荒涼としていたり、舞台美術がキッチュで好き。
ドン・トーマ・ダルブルチの一家が難破船から全員生き残っていた!という古典ならではのご都合主義にはわらった。
若い娘と結婚しようとしていたアルパゴンもドン・トーマ・ダルブルチも結婚せずに終わり、アルパゴンは最後、金貨が入った小箱を愛おしげに抱いて終わる。
金で孤独ではない状態を買うことはできないという展開や、金に夢中になっているアルパゴンは果たして不幸なのか?という終わり方も好みだった。
フロジーヌを演じていた壌晴彦さんの朗々とした声が忘れられない。

チェーザレ

中川晃教主演のミュージカル。原作漫画は未読。
開幕早々「チェーザレ・ボルジアは私生児〜罪の子〜♪」と歌い上げられるので本当に嫌な時代!!!!!!!!!!と心から思った。
ピサの大学生たちの所業、今だと5秒で退学になりそうだった。
曲数が多いし、説明も地名も人名も多いので演者の負荷が凄そうな舞台。
中川さんと藤岡さんの組み合わせが好きなので二人の場面が思ったより多くて嬉しかった。

歌唱力が①めちゃくちゃ上手い ②聞ける ③ハラハラする
の三段階くらいに分かれていて、全員がごた混ぜになってるから曲を聞き入った次の場面でめちゃくちゃハラハラする、ということが起こっていた。

アンジェロが宝塚娘役がやりそうなことを全部してくれるので、宝塚に合いそうな演目だなと思った。唐突な祭りのシーンとかめちゃくちゃ宝塚っぽい。
メディチ家のジョヴァンニがきゅるきゅるしてて可愛かった。
もっと人がバンバン暗殺されるのかな?と思ったら全然人が死なないのでびっくりした。
映像を使った演出が沢山あったが、急な実写乗馬シーンがめちゃくちゃシュールで笑いそうになった。原作読んでみると、大変忠実な舞台化だということは分かった。
終わりの方に流れる映像も世界遺産の特集みたいで面白い。2幕初めで急に「これからミュージカルが始まるよ!!!!!」って踊り歌うテンションになるのもややトンチキ。
全体的に歌が歌謡曲っぽくて、中川晃教の歌唱力と声ならもっとグランドミュージカルっぽく歌い上げる曲のほうがはまるなぁと思った。
でも全体的にどこかおかしいテンポとか描き方が好きでDVD買ってしまった。

宝塚花組 うたかたの恋/ENCHANTEMENT(アンシャントマン)

何も知らずに行ったら、エリザベートの息子の話で驚いた。
うたかたの恋」は初っ端から大階段を赤く染め白い鷲が浮き上がる演出がすごい。オーストリアに飲み込まれてる二人。
17歳の子を心中に誘う話を美しく描くのでひどく胸がざわつくし倫理的にアウトだったがその美しさが果てしなかった。
この「美しい」ということがマリーにとっても、ルドルフにとってもある意味では枷になったり、命を落とす要因にもなったのかなぁと考えたりもした。
一人は未成年で一人はまだ30歳の人が、死によってでしか救済されない世界というのも本当に息苦しい、家父長制を倒そう。
「ENCHANTEMENT(アンシャントマン) 」は華やかで見やすいのにテーマがはっきりしてるショーだった。
香水瓶の様なキラキラした衣装とセット、ダンスに見入った。シャネルの5番のトップ二人のダンスが特にかわいい。

2月

宝塚月組 応天の門/Deep Sea

応天の門
原作は序盤しか読んでいないのだけど、物凄く原作の要素を慎重に抽出して、丁寧に舞台化していた。
あと、驚くほどテンポが良い!!さくさく話が進むからストレスフリー。かなり好きな舞台。
月城さんの三白眼のように見えるアイメイクは一つの発明だと思った。
月城さんと海乃さんは「グレート・ギャツビー」で初めて観たトップコンビだったが、恋愛関係にならない、腐れ縁のような今回の関係のほうがすっきりしていて良いなと思った。
「Deep Sea」
海底を舞台にしたラテンショー。
ぎらぎらした衣装や、耳に残る歌の数々で大変好み。
ただ、ラテンをテーマにしているからと言って演者が茶色系のドーランを塗るのはブラウンフェイスだし、人種差別的なので即刻やめてほしいと思った。

木ノ下歌舞伎「桜姫東文章

終わり方が、元の歌舞伎だと家父長制に吸収されて終わりなのに対し、それを蹴飛ばすような爽快感があった。
残月を演じていた方の荒川良々さんみ+くまのプーさん+フーテンの寅さんみが良かった。残月と長浦のニコイチっぷりが好きだった。
成河独特のチャームを封じて演じていたのも面白かったけど、立ち回りになって歌舞伎みが増すあたりでどうしようもなく魅力がのぞいてた気もする。
お十が気だるげに白いポーチ振り回して踊って?たのは何?何かの翻案?

桜姫、最後にようやく自我に目覚めるシーンがある他は、女郎屋に売られるシーンで無反応だったり、その場にいる一番権力の強い大人の言うがままになるシーンも多くて、それが彼女の生存戦略だったんだろうなと思ったし、一体どんな気持ちなんだろ?と不思議にもなった。
大向こうも舞台上の役者がやるんだけど掛け声が面白かった。ポメラニアンいなげや、べにや、豆腐屋、などなど。

近未来の若者たちがとりあえず「歌舞伎」なるものを演じてみている、と思うと演技のばらつき、間延びした発声や抑揚のない声も納得できる気がした。
歌舞伎を脱構築したい、という試みは分かるのだが、大変長く感じて、単純に好みではなかった。
青トカゲ煎じる場面が永遠に続くかと思うくらい長くて、あそこが一番きつかった。

3月

・バンズ・ヴィジット
・宝塚宙組 カジノ・ロワイヤル

バンズ・ヴィジット

日常という名の重力を一時忘れられる話だった。というか、忘れられると信じる話だった。
ちょっとしたことでその日の印象ががらりと変わるということや、人と共にいることの難しさや、共にいるだけでいいという瞬間について丁寧に地道に描いていた。

本編後、舞台に音楽警察隊として出ていたミュージシャンの皆さんによるコンサートもあってそれも贅沢な時間だった。
こがけんさんの歌がかなり良かったし、マイナスな要素かな?と思った風間杜夫さんの歌も「久しく歌ってないおじさんの歌」と考えるとかなりぴったりだった気がする。
終盤のディナとカーレドの急なキスシーンは、孤独を埋めるための衝動で、そこにたまたまトゥフィークが居なかった、ただそれだけのことなのかなと思った。
ミュージカルの輸入版CDと、ヴァイオリニスト役の太田惠資さんのCDを買った。個人のアーティストのCDはトルコ・シリア地震の支援に全額寄付されるとのことだった。

宝塚宙組 カジノ・ロワイヤル

テンションとしては「カジノ☆ロワイヤル」か、「カジノ・ロワイヤル♪」だった。
ミュージカルで「イルカは高等生物〜」という歌詞が出てきたのには度肝を抜かれた。
イアン・フレミング側はこの台本を読んで上演OKしたかが気になる。
イルカが人間を愛してるかなんてイルカにインタビューでもしない限り分からないじゃん、と思ったので脚本家とイルカの解釈違いだった。
ヒロインのデルフィーヌ(潤花)が「最貧国に学校を建てる」という夢を語る一方で、ルーレットに触るためにホテルのメイドにお金を渡して買収するシーンが普通に何のつっこみもなく描かれるのでその矛盾にクラクラした。

4月

  • ブレイキング・ザ・コード

ブレイキング・ザ・コード

アラン・チューリングの生涯を描いた演劇。
チューリングが受けた療法は明らかに間違ってるし、あってはいけない事だけど、19歳の少年を買春するのも私としては受け入れられない事で、演出でそれを切なく描くのはどうにも受け入れがたかった。
主演の亀田佳明さんの演技はとてつもなく素晴らしく、チューリングの能力の高さもいけすかないところも全部出し切っていた気がする。
チューリングが人のケアをしないけど、他人にはそれを求めてくるのは普通に「搾取」だな……と思って観た。
あと、結婚して子供がいる、かつて自分に告白してきた相手に「僕も君と結婚するべきだった」と言うのもかなり引いてしまった。

終わって一番に感じたのが「人と人とは分かり合えない」だったので、「肉体が失われても心は残るのか」「思考する機械は存在可能か」を考え続けたチューリングの人生を、「幼い頃に先に死んでしまった親友(もしくは初恋の相手だったかもしれない人)への思い」という分かりやすい理由で理解した気になって良いのか、というのが気になった。

後日、気になったので戯曲を買って読み、数学を研究している夫にも読んでもらった。
夫の感想が面白かった。簡単に書くと
チューリングは、人間の思考を計算の連続と捉えていた
・機械が感情を持つか?という疑問が出てくるのもこれが前提
チューリングは「人間の感情」が理解できなくて、だからそれを数学的に捉えて定義し、理解したかったのかもしれない
というもの。もっと知識をつけて再度のぞみたい戯曲だった。

5月

宝塚雪組 ライラックの夢路/ジュエル・ド・パリ!!

まとめると鉄道ミュだった。
生誕150周年ということで「小林一三先生ご生誕おめでとう🎉🎊🎈」という幟が見えるようだった。ここが明治座なら立っていた。
関税同盟が締結されてあんなに喜び踊るタカラジェンヌ 達、史上初では?
イルカ礼賛に続き、鉄礼賛ソングが聞けた。全体的に衣装は素晴らしい。
演出・脚本の謝さんのやりたいこと(鉄道による輸送力アップ→経済の活性化こそ近代化である、女性の自立の大切さ、自尊心が高すぎると大変問題、家族の絆、マイノリティに対する差別、階層による貧富の差、シスターフッド)それぞれかなり切実な問題なので一つにまとまりきらなかったのではないかと思う。

しかし、職業における性差別問題(エリーゼが女性だからという理由でオーケストラの面接で不合格になる)が、「女性ならではの感性」とやらで別の仕事を得ることで解決してるのか?と思った。
この問題はいまでもあるんだから安易な解決を劇中で示さない方がいいと思う。
主役のハインドリヒ、「最初は兄弟で事業が出来たらいいと思ってたけど、鉄道事業で国のみんなを救う!」と言い出した時も?????だったが、エリーゼが女性だからオーケストラ落とされたと話したら「好きだ」と告白したり全体的に大変唐突な人間だった。

ジュエル・ド・パリ!!は、めちゃくちゃ可愛いレビューだった。和希そらさんの腹筋がすごすぎる。
衣装の色のトーンが統一されていて観やすかった。宝石というテーマも良かった。

ザ・ミュージック・マン

主役の坂本さんの人好きのする笑顔が詐欺師の役にぴったりだし、いちいち魅力的で素晴らしかった。
全体的に歌い上げるのが難しい曲調だったのだけど、子役含めみんな安定感あって聞いててほっとした。
冒頭の列車ラップが凄まじい技術力で目が丸くなる。素晴らしい。これだけでチケ代の元がとれたかも。
車が登場したことでセールスマンの必要性が危ぶまれるようになった時代という説明と、ハロルド・ヒル教授という詐欺師の説明も兼ねていて導入としては最適。構造は、「イン・ザ・ハイツ」に近い。

ハロルド(坂本さん)とマリアン(花乃さん)がラスト付近で歌う「Seventy Six Trombones」と「Goodnight, My Someone」、明るい曲としっとりした曲で正反対なのに実は同じ旋律だったってことがわかる仕掛けになってて、相手の曲を歌うことでハロルドのマリアンへの気持ちが膨らんでいく様を表してて、これはミュージカルでないとできないなぁと思った。

列車のリズムが歌のリズムになる「Rock Island」とか、あるメロディーが出てくる+別のメロディー出てくる→途中で一つの曲になるという作りが多くて面白かった。

舞台装置は街をドアで表現したり、図書館のセットも凝っていた。藤岡さんも山崎さんも歌える人だからもうちょっと歌えるナンバーあっても良かったかも。
時代的や作品が作られた時代的にそういう描写になるんだろうけど、結婚してない独身女性への差別だったり、女性キャラクターのステレオタイプな描き方(婦人会の女性陣がおしゃべり、とか)は気になった。
あのラスト、本当に演奏できたんじゃなくて街の人たちにはそういう音楽が聞こえた、という様に見えたんだけど、他の人の感想も気になる。

ラビット・ホール

子供の手が届くところに花瓶が置いてある=この家にはもう子供はいないってことが舞台装置でわかるのがすごかった。
宮澤エマさん演じるベッカがする、相手に罪悪感を抱かせるような責め方が本当にリアルだった。
こういう人いるなぁという人物造形×5人……。
翻訳にこだわっただけあって、話し方がみんな自然だった。
1幕終わりに一緒に観た友達と「ハウイーはビデオの爪折っとけ!!!」と盛り上がった。
それぞれの抱える痛みを、台詞や演技だけでみせていくのは興味深い。

ベッカは専業主婦で息子のダニーといる時間が長く、その分思い出も沢山あるからダニーを思い出す(物や犬を見る)のが辛く、ハウイーは逆にダニーを思い出させる物に縋ろうとしているのが対照的。
私も自助グループに行っていたことがあるんだけど、ベッカが「自分の痛みを共有できない」と感じたのも、ハウイーが行き続けてることも両方分かる気がした。
自助グループは癒しももたらすけど、自他の境界を知る場所でもあるからしんどい時はしんどい。

犬の扱いがすごく気になって、可愛がってるという割に忙しいからフードをあげるの忘れたりものすごく引っかかる。フードと水は絶対忘れちゃだめ……。

チルダ

原作が好きで行ったミュージカル、大満足の出来だった。
「どの子も親にとっては奇跡」という事を皮肉って始まって、最後は血縁によらない絆のあり方と、やはり「どんな存在もそこにいるだけで奇跡」という事を描くのがすごい。
「あなたはそこに居るだけで奇跡だよ」という事は、血縁関係のある実の親でなくても大人が子供に伝えられるのでは?という話にも思える。

チルダが自分が両親から受けてるネグレクトとか、暴言のことをハニー先生には言えるシーンでじーんとした……それまで誰にも言えなかったことを打ち明けるシーン。
脱出名人の話が入れ子構造になっているのにもどきどきした。
あれはハニー先生の物語であり、マチルダの望みでもある。

7月

  • ある馬の物語
  • 宝塚花組 鴛鴦歌合戦/GRAND MIRAGE

ある馬の物語

現在の建築現場のようなセットで始まるお芝居。
主役のホルストメール(成河)は、足の速い名馬だったが人間の嫌うまだら模様があったため、価値のない馬と見なされ、軽んじられていた。
将軍の家で生まれた彼が成長し、ある出来事があって、彼は去勢されてしまう。ホルストメールは、それ以来、考えることが多くなり、周囲の人間を観察していく。
老いた彼はやがて飼い主の命令で首をかき切られ死ぬ。
その死骸は動物に食べられ、骨の一部が残るが、それすら農作業の道具になった。また、かつてホルストメールを飼っていた公爵の死骸は飾り立てられて埋葬されたが、誰の役にも立たなかったことが語られる。

公爵をそりに乗せて走るホルストメールのシーンがシーソーの様な動きで示されて躍動感がすごかった。
「所有」が一つのキーワードで、ホルストメールと公爵が対比されているのは分かった。
死んだ後も誰かに所有され利用されたホルストメールと、最後まで自分をだれにも所有させなかった公爵の違い。

宝塚花組 鴛鴦歌合戦/GRAND MIRAGE

鴛鴦歌合戦は、めちゃくちゃハッピーな和物オペレッタ
とにかく歌う歌う。トップのお二人が最後に頬をくっつけて微笑みあっていて可愛い。
聖乃あすかさん演じる殿様の弟君がほわほわしてて可愛かった。
GRAND MIRAGE!は、幻想的でパステルカラーに統一されたショー。ふわふわした印象が強くてあまり好みではなかった。私はギラついた強めのショーが好きみたい。

8月

  • 兎、波を走る

兎、波を走る

野田秀樹の新作。
モチーフになった出来事が明らかになったあたりで冷や汗が止まらなくて、初めて途中で劇場を出ようかと思うくらい直視するのがつらかった。
AIの存在が、劇中で描かれるもう一つの出来事とどう関係するかがまだ自分の中でつながらない。
フェイクスピアの時はイタコというモチーフが死者の言葉を代弁する者、ということで劇中の出来事と繋がったんだけど、こちらの方が難解かもしれない。
とにかく松たか子が「現れる」時、高橋一生の「場に居る」時の上手さが凄まじい。

9月

  • 闇に咲く花
  • 宝塚月組 フリューゲル/万華鏡百景色
  • SHINE SHOW!
  • 桜の園

闇に咲く花

国家神道神社本庁への批判、戦争と戦争がもたらしたものに対する鎮魂の話に思えた。初演が1987年。それから情勢が良くなってるとは到底思えないのが哀しい。
松下さん、浅利さんの球を山西惇さんが全部受け止めてて、この部隊の屋台骨は山西さんだなぁと思った。

田中茂弘さんと占部房子さんが特に良かった。田中さんの登場時から場にもたらされる緊迫感と異物感がすさまじい。
占部さんは「ミセス・クライン」の時の演技も素晴らしかったけど、場にいる時の自然さとか、凜とした感じが大好き。
「頭痛肩凝り樋口一葉」に出ていた増子倭文江さんをまた観られて幸せだった。
舞台俳優には「現れるのが上手い人」「その場に居るのが上手い人」「立ち去るのが上手い人」がいると思うが、闇に咲く花は「その場に居るのが上手い人」ばかりだった。

宝塚月組 フリューゲル/万華鏡百景色

反共主義者だった小林一三の作った劇団がやる社会主義の国(東ドイツ)の話だと思うと何だか皮肉な気もする。
対等で言いたいことを言い合う関係のトップコンビの感じが最高だった……終盤のあの合唱で泣きかけた。
風間さんの、出てくるだけで場を明るくする力が本当にすごい。
前回の応天の門から礼華はるさんが気になってたのですが今回も筋肉大好き軍人を可愛く演じてて大変良かった。
演出・脚本の齋藤さんの翼への執着と、要素をめちゃくちゃ詰め込んでくるところと、舞台に立つ人たちへの愛を感じられる。
親への葛藤を抱えた子に「許せ」とは言わずに「対話しよう」という匙加減も素晴らしい。

万華鏡百景色は、宝塚の歴代ショーの中でも歴史に残る作品。
引き裂かれた花火師と花魁の男女が何度も転生して巡り会う物語仕立てのショー。
あらゆる場面が素晴らしい、口開けて観ちゃいそうになる。風間さんの点灯夫が可愛い。銀座のシーンが最高。地獄変も最高。
私の大好きな三文オペラの「大砲ソング」を歌詞変えて歌ってくれたので満足だった。

SHINE SHOW!

複合ビルのカラオケ大会(新宿三井ビル 会社対抗のど自慢大会がモデル)で巻き起こる騒動を描く。
前半ゴタゴタ→それを乗り越えて後半熱唱という流れがお約束だけど心地よい。
特に木内健人さんと中川晃教さんは圧巻!
全体的にずっと薄っすら楽しい、という舞台で今年観た中でもお気に入り。

桜の園

森ノ宮ピロティの椅子が過酷すぎて腰が痛すぎ、1幕で帰った。いつか座席もトイレ環境も改善してくれ……!
ロパーヒンのいう生存戦略が桜の木を切り倒してリゾート地として開発するという、今の神宮外苑の開発と重なるもので、短期的な窮地を乗り切れても長期的な財産を失うという提案なんだなぁと思った。まぁラネーフスカヤやガーエフに長期的な視野があったかというと無いのだが……。
コメディとして演出されないと、老いとか死の気配がひしひしある芝居。みんなが人の話を聞かないのも老いの兆候に見えた。

以前、三谷幸喜版を観た時はガーエフ役が藤木孝さんで洒脱だったのだが、今回の松尾貴史さんも大変いい声で良かった。
舞台装置のドライさと、子供の死の強調というウェットさが明らかに噛み合ってなかった気がする。
やるなら徹底的にドライに突き放してやって欲しかった。

10月

  • スリル・ミー(松岡山崎ペア)
  • スリル・ミー(木村前田ペア)
  • アナスタシア
  • ロジャース/ハート

スリル・ミー(松岡山崎ペア)

松岡さんの「私」が前よりナードになっていた。
松岡私、優秀で頭の回転が早くて周りから浮いてる人物像で、そういう人に目をつけられた背伸びした19歳の山崎彼が気の毒だった……。
お互いコミニュケーションが成立してるけど蔑ろにしているので哀しく見える。
「俺が一番嫌いなやつ」
「……僕?」
の場面で、松岡私には(どうせ自分のことが嫌いなんだろ)という諦めが見えた。

最初のバードウォッチングのシーンで鳥を見つけてかぶりつく様にスケッチしてる松岡私、執着する対象に対するエネルギーがそもそもでかい人って感じで良かったし、「君の弟に聞いた」って言ったら山崎彼が露骨に不機嫌になったのを見て「ひっ」ってなるのも良かった。
また、54歳の時の語りが、全力で山崎彼を捕まえてそれに全人生を費やした後の燃え尽き感が出ていた。
99年の後に、目に涙が滲んで、仮釈放を告げられる前くらいに目元をぬぐっていたのが印象的だった。
山崎彼の冷たくて綺麗で意地悪な、年より大人に見られたい19歳の子供って感じが全部松岡私から見た、理想化された彼なんだなって感じがした。

スリル・ミー(木村前田ペア)

19歳のシーンは本当に19歳に見えたし、その時言ってることは本当に「思ってる」様に見える演技だった。
最初、木村さんは歌を歌として歌ってて、前田くんは台詞の延長で歌ってる感じであれ?ってなったんだけど「スリル・ミー 」の所で同じ様なベクトルの歌い方に変わった気がした。
(後、木村私がだんだんテンションをあげるのが上手い)
前田彼が本当にプライドが鬼の様に高くて、木村私を対等に思ってない(優しく話しかける時も思惑があるか、ただいなしてるだけ)のが分かるだけに、初めて序盤の私を可哀想に思った。
山﨑彼は私が離れていったら何だかんだで引き留めそうだけど、前田彼は離れたことにも気がつかなさそう。

護送車の中で「君を認めよう」って前田彼が歌ってる時から木村私が目を潤ませながら笑ってそれを聞いていて、本当に彼のことが好きだったんだなぁ……って改めて思った。
木村私が前田彼の弁護士になる夢を聞いた時に一瞬真顔になり、その後すぐ破顔して笑顔で「そうなの……知らなかった」って言うのがもう、ネタばらしが始まってる感じがした。
木村私が「怖くなったか?」って聞いてる時、目から涙が溢れてて、圧倒的に間違った手段で、彼を手に入れるために出来ることを選んだ末にこんなことになってしまった、取り返しのつかなさを感じた。
あと、54歳の私の目の死に方(ふっと目から光が消える)のは照明の当たり方とか立ち位置も計算してる?すごかった。

前田彼のスポーツカーのシーンは歴代のスポーツカーのシーンで一番好きだった。
本当に年の離れた弟がいるかの様で、普段から子供に触れてる人ならではの懐柔の仕方で。すごく良かったし、ぞっとした。

アナスタシア

背景の写真のような映像が最後に絵本のようなものに変わるのが、これはあくまでロシアという国が負った傷を癒すおとぎ話なんだって思わせてくれる。
We’ll Go from Thereが特に素晴らしい。宝塚版と一番歌詞が違うのがこれかな。禅さんヴラドが明るいクズでとてもよかった。
海宝さんのディミトリ、根がすごく良いやつなのが伝わるディミトリですごく良かった……。
太后とアーニャを外で待ってる場面で、アーニャが皇女だと認められると彼女を失うのだとはっきり自覚する時に目が潤んでて大変良かった。
木下さんのアーニャと、海宝さんのディミトリ、くしゃっと笑うところがすごく似てて悪友のように2人で楽しそうにしてる姿が印象的。禅さんのヴラドも加わると悪友3人組って感じ。
最後の田代さんグレブをみて、父権に縛られるということは、一種の暴力性に縛られるということなんだなと思った。
だから最後のアーニャとグレブは父権からの解放(暴力からの解放)を意味してたのかなと思う。棺が出てくるのもそういうことなのかと思う。

宝塚宙組版では気づかなかったけど、登場人物が集うバレエの場面で出てくる演目が白鳥の湖なのはアーニャ=オデット、ディミトリ=ジークフリート、グレブ=ロットバルトだからなんだって初めて分かった。
あと、ヴラドとディミトリが用意したアーニャへのぬいぐるみが宙組版に比べて絶妙に要らないデザインになってたのが良かった。紐みたいな手足。

ロジャース/ハート

主役2人がしっかり歌えるし、安定してるので周りがどれだけわちゃわちゃしてても大丈夫な感じだった。
藤岡さんの酔っ払い演技→美声の落差。皆でタップダンスも披露してくれて楽しかった!
元はレビューショーらしいので話はかなりあっさりしてる。

11月

  • スリル・ミー(尾上廣瀬ペア・配信)

スリル・ミー(尾上廣瀬ペア・配信)

廣瀬彼、まばたきしてほしい。
すごく「ミュージカル」をしようとしてるペアだなと思った。こんな事で彼を手に入れられると思った松也私が悲しいし、愚かだなと思った。

12月

  • 宝塚雪組 ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル/FROZEN HOLIDAY
  • クローズ・ユア・アイズ

宝塚雪組 ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル/FROZEN HOLIDAY

朝美ホームズに悪魔の仮装をさせようと思った演出家・脚本家と握手したい。
自分のイマジナリーフレンドとの出会いと離別を通して、自分らしさを再発見する話。
一点不満があるとすると、ホームズファンが女性だらけなところ。男もいたでしょ……。
あと劇中、ホームズファンが無茶な要求を編集部にしてくる描写もあるので、余計熱狂的ホームズファン(シャーロッキアン)をすべて女性として登場させるのはジェンダーバイアスでは?と思った。
あえてこの書き方をするけど「ミーハーなファンはすべて女性」という表象に見えてしまう。

アーサーとルイーザがキスする時にホームズが「僕がお邪魔みたいだね……」って言うところが可愛かったんだけど、別の回を観た友人曰く、日替わりのセリフのシーンらしい。
劇中だとルイーザ一筋に見えるドイルも、現実は病床にいる妻とは別の女性と不倫してルイーザが亡くなった翌年に結婚したんだよなぁ……と思うと劇中の仲良い夫婦が切なく思えた。
多趣味なコナン・ドイルの内面を表す様に、ホームズの姿も変装時のものを含めて多様であったのはすごく良かった。
宙組シャーロック・ホームズも観てると、モリアーティと鎖の組み合わせが再登場してわらった。
物語は人を縛ったり救ったりするけれど、物語がない人生はありえない。

FROZEN HORIDAY感想
・DJ縣千さんにターキーレッグのギター弾かせた時点で優勝
・トナカイの娘役さんをはべらせる朝美絢サンタ
・和希そらにお別れの場面を作ってくれてありがとう……
・超越雪祭男!???!!
・ワイルドホーン提供の曲前で唐突に映像くるのでわかる親切仕様

劇団は皆さんの労働環境の整備、労働時間の管理、ハラスメントの防止を徹底してほしい。
安全安心な環境で作品づくりをしてほしい。
彼女たちが一刻も早くこころ安らかに次の年を迎えられますように。

クローズ・ユア・アイズ

久々の劇団キャラメル・ボックス生観劇。
日本に向かう船の中で死んだ男が、何故か息を吹き返し、死んだ体のまま震災で姿を消した恋人を探す話。
初演から23年経っての再演らしい。
書かれた年を考えると、おそらく阪神大震災のショックから沢山の「死」が舞台に登場する群像劇になったんだと思う。
これだけ多くの「死」が出てくる舞台なのに何故か底が明るい不思議。
ただ、あまりに登場人物が多く、話も並行して色々進むので主題(死の受容と、人と共にいる難しさ・意味)がぼやけてしまっている気がした。

死ぬ人には1人、天使が付き添うという設定が良かった。最後の場面であぁ、これはクリスマスの奇跡の話なんだと改めて思った。
あと、キャラメル・ボックスのオープニングのダンスシーンと曲の良さは本当に良いと思った。

NTLiveアドベント・全レビュー/NTLive星取表

この記事は「ナショナル・シアター・ライブ(以下、NTLive)10周年企画アドベント」の25日目の記事です。

アドベントカレンダー(記事一覧)は以下リンクからどうぞ。
adventar.org

24日目の健太さんからリレーを受け取りました。
kentabookmark.hatenadiary.jp

今回は全NTLiveアドベント記事についてのレビュー、10年間分の星取表と簡易な作品レビューについて書きたいと思います。

NTLiveアドベント・全レビュー

(1日目)日比谷恵太さん「ベスト・オブ・エネミーズ」についての記事

privatter.net
2023年、初めて出会ったNTLiveとの思い出についてです。
「ベスト・オブ・エネミーズ」は私も観ましたがあの臨場感、激しい討論の様子が目に浮かんでくるようなレビューでした。
NTLiveという試みが、時間と空間を超えて作品と出会わせてくれる存在だということがよく分かります。

(7日目)ケイさん「戦火の馬」についての記事

michikusa.plus-career.com
映画館で演劇を観る、という経験をそのまま克明に書いて下さいました。
戦火の馬の終盤の展開を思い出しながら読みました。
観客を見渡す、軽食を食べる、周りの方の涙。観客との一体感こそ、舞台の醍醐味だということが伝わってきます。

ケイさんの2つ目の記事はこちら!
michikusa.plus-career.com
何と37作品についてのレビュー!
皆さんも10年を振り返って星取表作成してみてはどうでしょう?

(8日目)はづき真理さん「リア王」(サイモン・ラッセル・ビール版)についての記事

august16th.hatenablog.com
生活の中に根差した「演劇」についての文章にも思え、また、優れたお芝居は私たちと現実を繋いでくれるということを思い出させてくれる文章でした。
ご自身を「リア王」の登場人物・次女リーガンに重ね合わされた経験のくだりが特に忘れられません。

(9日目)麻(柳川麻衣)さん「National Theatre at Home(NT at Home)」についての記事

hempandwillowinpain.blogspot.com
COVID-19が蔓延していた2020年、家でNTLiveが配信で見られる「NT at Home」に心を支えられたお話です。
あの頃の、出口の見えないトンネルの中にいる様な気持ちを思い出しました。
フランケンシュタイン」「欲望という名の電車」「コリオレイナス」について書いてくださり、読んでいて人生には物語が不可欠だと再認識できました。

(10日目)みなみさん「NTLive10年間・30作品の振り返り」

mv-mnm.hatenablog.com
作品を観た後、日常生活でも引きずるほど影響を受けるのもあるあるですよね、わかります……と思いながら読みました。
「夜中に犬に起こった奇妙な事件」の感想で「役者の演技はもちろん身体の巧みな動きと技術が集まれば、エスカレーターも降りれるし宇宙にも行けるし、家の間取りも分かる。」という部分には激しく頷きました。時空を超えていける演劇の可能性!

(12日目)トッコノ(鵞鳥)さん「NTLiveと夢小説」

nanos.jp
シラノ・ド・ベルジュラック」のレビュー、NTLive夢小説執筆についてのお話です。
ジェームズ・マカヴォイのシラノは、付け鼻などはせずに周りから軽んじられる、知性ある男を素晴らしい精度で演じてましたね。
リーマントリロジーとシラノの夢小説を書かれたとのこと、大変気になります。是非読みたい!
別の場所でも書きましたが私がNTLive夢小説を読むなら「ヤング・マルクス」がいいなぁと思います。

(14日目)AOIci(あおいち)さん「リーマントリロジー、ジョージ3世の狂気(邦題:英国万歳!)」についての記事

aoiciworks.hatenablog.com
ロンドン・日本で観た「リーマントリロジー」、ロンドンで観た「ジョージ3世の狂気」(日本では「英国万歳!」の名で公開)についてのお話です。
リーマントリロジーの何世代にも渡る壮大なお話はまた観てみたくなりますし、観客層含めての演出だったのかもしれない「ジョージ3世の狂気」は見逃した悔しさを覚えました。
あおいちさんも書かれてましたが女性3人のリーマントリロジーも是非観てみたい。

(16日目)はとさん「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」について

ibara810.hatenablog.com
ダニエル・ラドクリフとジョシュ・マグワイアが主演の「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」(以下、ロズギル)をロンドンと日本で観たお話です。
現地で観たNTLiveと再会するのはあおいちさんの記事でもありましたが、本当にエモーショナルで稀有な経験だなと思います。
好きなものを追っていると思わぬ出会いが待ち受けている。それが伝わってくる記事です。

(18日目)Lily「フランケンシュタイン、橋からの眺め、善き人についての思い出」について

fishorfish.hatenadiary.jp
作品の中で描かれる、必ずしも正しくはない出来事や人から、自分は何を受け取って持ち帰るのか?というお話です。
NTLiveとの最初の出会い(フランケンシュタイン)と、自覚のない加害性、という共通点のある「橋からの眺め」「善き人」について考え、まとめてみました。

(19日目)成山さん「NT at Home、シェイクスピア作品、全作品レビュー」

baraoushakes.hatenablog.com
NT at Homeで更に制約なく、作品と出会えた経験が生き生き書かれています。
シェイクスピア作品は翻訳もいくつかあるので、翻訳ごとにも更なる出会いがありそうです。
演出=視点・まなざしという書き方には特にはっとしました。
私の場合は他者の視点を知りたくて演劇を観に行くところがあるので、素敵な捉え方だなと思いました。

20日目)駒止さん「レオポルトシュタットとハヌカとの出会い」

privatter.me
裕福なユダヤ系大家族が迫害に巻き込まれて没落してゆく様を描いた「レオポルトシュタット」との出会い、その作品との出会いを通して実際のユダヤ教の行事・ハヌカに参加された貴重なレビューです。
他者とどう共にあるか、という事に対して真摯に対峙し、勉強されたことが伝わってきます。

(21日目)阿部藍子さん「札幌でのNTLive上映の思い出」

abe10bear.hatenablog.com
札幌での記念すべきNTLive上映(「ライフ・オブ・パイ」「フリーバッグ」「かもめ」「るつぼ」)の感想に喜びがあふれていて、まさにNTLiveへの壮大なラブレターだと思いました。
「お金をもらっている気分(?)になりながら鑑賞」という一文には大いに頷きました。NTLiveからの多大な恩恵にひたすら感謝したくなるの分かります……!

(22日目)annnaさん「オーディエンスの資料を作ったお話」

musicalandplay.com
「オーディエンス」上映にあわせて、ご自身で詳細な資料を作成されたお話です。
資料も載せてくださっていますが大変な力作で、「オーディエンス」を見逃したことが心底悔しくなります。
NTLive、当初は字幕に誤字が多く読むのが大変だったことを思い出しました。一つの作品にかける熱意が本当に素晴らしく、脱帽です。

(23日目)HNかんがえちゅうさん「プレゼント・ラフターについて」

privatter.net
大好きなアンドリュー・スコットへの思い、原作との変更点、感想と盛りだくさんの内容で楽しく拝読しました。
しんどい時にこそ観たくなる作品、勇気づけてくれる存在になる作品って自分にもあるなぁと思います。
また、劇場の盛り上がりを間接的にでも追体験できるのがNTLiveの強みの一つだなと再認識しました。

(24日目)健太さん「6回連続で観たフランケンシュタインの思い出」

kentabookmark.hatenadiary.jp
フランケンシュタイン」のストーリーに沿った詳細なレビューです。
これはまさに読むNTLive再体験!
フランケンシュタインは多くのテーマが含まれていますが特に「この世に突然産み出される理不尽」を描いていたことを思い出しました。

NTLive星取表

最後に、今まで観たNTLiveの星取表と感想を記しておしまいにします!
以下の表はNTLive公式ホームページ(NTLiveラインナップ)とTwitterで頂いた情報を元に作成しました。

2014年

フランケンシュタイン
 ①ベネディクト・カンバーバッチ博士ver
☆②J・L・ミラーが博士ver 
コリオレイナス
・オーディエンス
リア王(サイモン・ラッセル・ビール出演)
ハムレット(ローリー・キニア出演)
・オセロー(エイドリアン・レスター出演)


フランケンシュタイン

他の方も書いていますがこの頃はまだ字幕を本国で作っていた関係か、誤字が多く読みづらかった思い出。
フランケンシュタインは2バージョンありますが、私が観たのはJ・L・ミラーが博士、カンバーバッチが怪物ver。
性暴力の場面がきつすぎてもう1バージョンが観られなかった……。
これに関しては自分の記事で詳しく書いてます。
https://fishorfish.hatenadiary.jp/entry/2023/12/18/120156

2015年

欲望という名の電車
二十日鼠と人間
・スカイライト
・宝島

転職があったりして、全く時間が作れず1つも観れなかった年。観ておけばよかった作品ばかり!

2016年

 ・ハムレットベネディクト・カンバーバッチ出演)
☆・夜中に犬に起こった奇妙な事件
☆・橋からの眺め
 ・人と超人
 ・ハードプロブレム
☆・戦火の馬


夜中に犬に起こった奇妙な事件

制作者が「一種の英雄譚」と語っていた通り、一人の少年への祝福の物語だと思った。英雄は世界を救う人とは限らない。
宇宙や星の光からすれば、小さくて些細な存在だって英雄になりうる。主人公のクリストファーが見ている世界を、物語の力を借りてそっと覗き見られた気がした。
演出が最高に好きだった作品。


橋からの眺め

「有害な男らしさ」について知りたければこの作品を観てもらった方が早い、というくらい的確に描いていると思った。
この作品に関しては自分の記事で詳しく書いてます。
https://fishorfish.hatenadiary.jp/entry/2023/12/18/120156


「戦火の馬」

実は馬BLだったのでは???と今でも思っている作品。
トップソーンを起こそうと鼻面を押し付けるジョーイの場面で落涙。
戦場に行く前はみんな「クリスマスまでに戦争は終わる」と楽観的だったのに、戦争がはじまると泥沼でそんなことは無かったという落差が残酷だった。
世田谷パブリックシアターで上演された「銀杯」という芝居にその辺が似ている。
とにかくパペットの動きが緻密で素晴らしい作品。舞台上にアルバートが破り取ったスケッチブックの紙を模したスクリーンがかかって、そこに田園風景・戦場の様子を墨絵のようなタッチの映像で流してたのが好きだった。
休憩後に原作者と演出家のインタビューが流れ、原作者が「馬視点で描いたのは中立的な立場の被害者視点が欲しかったから」「政治で議論は尽きないが、戦争の悲しみに議論の余地はない」と話していたのが印象的。

馬に感じる憐れさを、どうして同じ人間には感じられないんだろう、と帰り道に考えた。

2017年

 ・ハングメン
 ・三文オペラ
 ・深く青い海
☆・誰もいない国
 ・お気に召すまま
 ・ヘッダ・ガーブレル
 ・一人の男と二人の主人

誰もいない国
イアン・マッケランパトリック・スチュワートが共演する?!と聞いて駆け付けたがまっったく理解できなかった。
完敗です。

2018年

 ・エンジェルス・イン・アメリカ 第一部 至福千年紀が近づく
 ・エンジェルス・イン・アメリカ 第二部 ペレストロイカ
 ・ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ
☆・アマデウス
 ・イェルマ
☆・フォリーズ
☆・ヤング・マルクス
 ・ジュリアス・シーザー

アマデウス
人間のありとあらゆる感情博覧会、格好いい舞台芸術(特に衣装ーコンスタンツェのドレスがどれも最高)、演劇の一部となるオーケストラ、全てが大きくて圧倒された。
サリエリは神様に愛されたかった人で、もっと言えば「自分を愛してくれる神様が欲しかった」人だった。
才能と嫉妬と羨望と絶望の話でもある。
サリエリが幾多の「自分に音楽の才能を与えず、天才アマデウスの能力に気づく力を与えた神様への呼びかけ」を経た結果、
最後に「私は君たち数多の凡人達の守護神となる」と、自らを神の座において語りかけだすのがあまりに哀しかった。
ラストのサリエリのスピーチ、悲壮感ありありとしたものでもなくて、開き直るだけ開き直った男の告解のようで、観客もところどころ笑っていたのが興味深かった。私は悲哀を感じたけど笑える人もいるんだ!という新鮮な驚きがあった。


フォリーズ

勝手に「人生は夢………」って作品かと思って行ったら、その真逆で驚いた。
バーンスタイン本人が言ってるように「同窓会で酒のんで酔っ払って回想するだけの話」という身も蓋もない要約もできる。
歌が本当に難しそうで、歌いこなす出演者達がすごいと思って観ていた記憶がある。
主要な登場人物に誰一人感情移入できない芝居だったので逆に興味深く鑑賞した。自分が20代の頃はひたすら苦しかったので、若いころに戻ろうともがく登場人物達と心理的な距離があったのかも。


ヤング・マルクス

面白いコメディだった。
若い頃の極貧時代のマルクスは利己的で好色で最悪な男なんだけど、でも憎めない魅力にあふれている。
ロリー・キニアの演技力が炸裂。親友のエンゲルスと「マルクスエンゲルスエンゲルスマルクス」と何度も言い合うのが可愛い。
妻の家宝の銀器を勝手に質入れして窃盗容疑で警察から追われる幕開け等々、テンポ良く進むのは、めちゃくちゃ格好いい音楽と回転舞台の成果もある。
エンゲルスマルクスに労働者の現状を切々と語る場面や、大英図書館で騒動になるシーンが特に最高。

2019年

☆・マクベス(ローリー・キニア出演)
 ・ヴァージニア・ウルフなんかこわくない
☆・リア王イアン・マッケラン出演)
 ・英国万歳!
 ・アントニークレオパトラ
 ・アレルヤ
 ・リチャード二世
 ・みんな我が子
 ・イヴの総て


マクベス(ローリー・キニア出演)

マクベス(ローリー・キニア)とマクベス夫人(アンヌ=マリー・ダフ)の演技力が凄まじいもので、世界にはこんなに演技のうまい役者さんがいるんだな……としみじみしてしまった。
上映前の映像で演出家と舞台美術の担当、戦場カメラマンの方が作品についてのインタビューに答える所が映るんだけど
「政府が機能しなくなると封建主義と独裁が台頭する。民主主義はむしろ新しい理念で、不安定な世になると暴力に頼った方法を人は選びがちになる」
というコメントが身につまされて、めちゃめちゃ怖かったのを覚えている。
権力にたいする野心と罪悪感にかんする芝居。恐らく一度文明が解体された、内戦状態の世界観だった。
最初にマクベスが敵の将軍の首をナイフで切り落とす構図とラストの構図がほぼ同じにつくられてて、マクベスが倒されても根本的な情勢の安定など今後も望めないように見えて空恐ろしかった。
文明崩壊した後の世界観なので、高い地位に居る人は原型の残った衣装(赤いスーツ、スパンコールのついたドレス、パジャマ、ジャケットなど)を着ていて、そうでもないと既存の服の残骸を組み合わせて着ているのが良かった。


リア王イアン・マッケラン出演)

すべての演者の演技がうますぎて「演技が上手い」という感想すら出ないくらい、演技が上手い。
イアン・マッケランリア王の「愛されていたい」「尊敬されていたい」という欲望が打ち砕かれて、メタ認知がどんどんできなくなって、花を銃に見たてて狂乱してるシーンが特に好き。
私は常々、権力というものは権力を持っていることそれ自体に権威があるから、実は一度権力を持ってしまったら中身を問われる機会はそんなに無いんだろうと思ってるんだけど(偉い人は「偉そうにしている」ことで偉さを担保されている)、リア王って自分の権威の根拠(領土)をハサミで切って分割してしまうところから始まるので、根拠がない「偉そうにしている態度」は反感を買うし、どんどん権威を削がれて(家来を減らせ云々)、それが何故なのか道化に何度も言われてても気づけないのが悲しかった。
権力をはぎ取られる時にこそ、人は自分が何故権威を持てていたのかを知ることが出来る。
道化役のロイド・ハッチンソンが特に好きな演技をしていた。退場してしまうのが惜しいくらいだった。

2020年

☆・リーマン・トリロジー
 ・フリーバッグ
 ・スモール・アイランド
 ・夏の夜の夢
 ・プレゼント・ラフター
☆・シラノ・ド・ベルジュラック
☆・ハンサード


リーマン・トリロジー

COVID-19の流行で劇場が休止になったりしつつ、再開したシネリーブル池袋で2回観た記憶がある。
瀬尾はやみさんと話してたときに「語りの心地よさが弾き語りに似ている」ということから「平家物語が近い」と言われて、はっとした。
見事に女性の登場人物は「妻」「母」「娘」の域を出ず、書き割りである。あくまで、これは男達の話なのだ。ボビーが妻を仕事の話から遠ざけたように、女性達を追いやって成長した国と経済と会社の物語。

かつて平家物語を琵琶法師が語るのを心地よく聴いていた人達がいたように、もしくはかつて吟遊詩人のもたらす物語をわくわくしながら聴いていた人達がいたのと同じ様に、役者三人とピアノ一本で150年の一族の歴史と趨勢をあまりに美しい言葉と音楽で届けてくれるすごい作品。
柏木さんの訳が流れる様なリズムで本当に美しかった。
「奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、 偏に風の前の塵におなじ」とあるように、アメリカ南部で小さな店を開いたユダヤ系移民の三兄弟がその時代にあった投資先を選び、その子や孫もまた、有り余る富を手にするも、全ては失われていく。
失われる事が分かっているからこそ、一人一人の男達が一族とあまりに大きくなりすぎた会社を背負い、悪夢にうなされながら富を増やすために走りつづける様が哀しく見える。


シラノ・ド・ベルジュラック

ジェームズ・マカヴォイ、心に傷を負い、体に傷を負いながらも相手を求めてやまない役が似合いすぎる。
普段は傲岸不遜で権力にあがない自由を求める怖いもの知らずなシラノ・ド・ベルジュラックが、たった一人の愛する人を前にしたら戸惑い、相手の言動に傷つきながらも目を潤ませてじっと縋るようにただ相手を見つめる様が忘れられない。
シラノとクリスチャンはお互い、相手の姿と声・言葉を借りてロクサーヌにアプローチするが、それって女性を介してお互いを愛していた一面もあるよなと思っていたら、そういう描写が出てきたのでやっぱりと思った。
最期の最期にこれまで武器にしてきた言葉を、愛する人に対して最後まで言えずに死んでいくシラノも本当に悲しいし、誰も自分を見ていなかったことに気がついたクリスチャンの絶望にも胸を締め付けられた。

クリスチャンの描き方が単に賢くない美男子、というものではなくて異性には口下手なまだ若い男というアプローチで、途中から彼はロクサーヌが惹かれてるのはシラノの言葉に対してで、自分ではないことに薄々気がついてるんだけど、それが決定的になった後にシラノにキスをする。
あれはロクサーヌがはじめに惹かれた自分の容姿、今彼女が愛しているシラノの魂、二人の男の要素をひとりの人間にできないかという試みにも見えるし、彼自身がこれまで目にかけてくれていたシラノに惹かれていたからにも思えるし、その両方にも見えた。自分を見て欲しい二人から見てもらえない哀れさ。

マカヴォイは紛れもなく美しい容姿の人物だけれど、佇まいや演技で付け鼻などなくとも容姿にコンプレックスを抱いた男にみせていた。
他人が自分に感謝のキスをしようとしたり、顔に触ろうとするときのびくつき方が手負いの獣のようだった。

他の演出や元の戯曲をみたことがないのでぼんやりした先入観なんだけど、ロクサーヌが真相を知るシーンを戦地からの手紙をシラノが読むのではなく、ストレートに真実を語る様にしてたのは意外だった。ロクサーヌをクリスチャンとシラノのホモソーシャルの犠牲にしないための脚色にもみえた。
真相を知ったロクサーヌが驚いた後、シラノに罪悪感を抱く展開かと思っていたら、ちゃんと怒りを示してシラノの代筆した手紙を燃やそうとしてて好感がもてた。そりゃ腹が立つよね。その時涙ぐみながら「頼むから手紙を破かないでくれ」と呟くシラノの「これは許してしまうよなぁ、ずるいなぁ」という佇まいもとても良かった。

シラノ・ド・ベルジュラックという舞台では背景は鏡ばりでよく役者たちは鏡に映った自分や他人をじっと見つめる。
それは相手の影でしかないが、真実の相手の姿のように錯覚してしまう。プラトンの洞窟の比喩のように、それが人間の認知の限界で、だからこそ人間は必ず間違えるし、愚かなことをする。

ハンサード
夫婦のおかしな会話にくすくす笑っていたら隠されていた過去が明らかになっていって、とても胸が痛かった。
バージニア・ウルフなんかこわくない」と構造が似てる劇だと思った。

2021年

・メディア
十二夜
ジェーン・エア

2022年

ロミオとジュリエット
・ブック・オブ・ダスト
・プライマ・フェイシィ
・ストレイト・ライン・クレイジー
・ヘンリー五世

コロナ禍、引っ越し、出産、新生児の子育てと立て続けに色々あり、2年間、1本も観られず……!

2023年

 ・レオポルトシュタット
 ・かもめ
 ・るつぼ
 ・ライフ・オブ・パイ
 ・オセロー(ジャイルズ・テレラ出演)
☆・ベスト・オブ・エネミーズ
☆・善き人
☆・ライフ・オブ・パイ(アンコール上映)

ベスト・オブ・エネミーズ
主役2人の演技力が半端ない……。
カメラに自分がどう映ってるか全部把握してた気がする。
ジェイムズ・ボールドウィンがある種、生きるために討論してるのに討論相手から「楽しんでるか?」と聞かれたと話す場面が好き。
カメラが回ってないところで彼ら2人が何を話したのだろう?と言う最後のシーン、ロマンティックだと思うけどこれ日本の話ならここまで乗れたかな?とふと疑問に思った。
もう一度見直して隅々まで演技を堪能したい作品。

善き人
ものすごくつらくて、打ちのめされた作品。役者達の演じ分けがすさまじいレベル。
詳しくは記事にて。https://fishorfish.hatenadiary.jp/entry/2023/12/18/120156

ライフ・オブ・パイ(アンコール上映)
パペットで出てくる動物たちが本当にすごい。
特に虎は、表情が細かく変わるわけじゃないのにくるくる顔が変わっている様に見える。
パイの漂流譚の仕組みはオランウータンの登場で何となく気付いた。
物語ることの意味とか宗教の位置付けとか、もっと知識があれば深く考察できそうなお話だった。
でも、2幕はじめに流れた映像で演出家の方が「いい夜だった、と(観た人に)思ってほしい」と言っていた様に、帰り道はわくわくドキドキした気持ち、虎が出てハラハラして終わった1幕のことを思ったいい夜だった。
虎が寝てる時の尻尾の動きとか、前足を舐める動作がうちの猫そっくりだった。
ボートが出現する場面が本当にすごい。
パイ役の方の身体性が素晴らしいのでつい見入ってしまう作品だった。

パイがヒンドゥー教イスラム教、キリスト教の3つを同時に信仰していた描写と、複数の動物が同時にボートに乗っていたことが関係するんだろうということは何となく分かったけど深められずに終わってしまった。
虎の檻に入ったパイに、可愛がっていたヤギを虎に食べさせるのを見せるのは懲罰的なしつけに見えたし、漂流しているパイが父や先生、漂流ハウツー本の筆者に導かれるのも含め、パイの生きる世界では父権が強いという表現に見えた。
神を信じることと、物語を愛することはどこか似ているなと思った。

最後に

この企画に参加してくださった皆様、記事を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
慣れない主催業でご迷惑をおかけしたと思います。ご協力に深く感謝いたします。

NTLiveの製作者の方々、NTLiveを配給してくださっているカルチャヴィル合同会社の方々、字幕を長らく担当してくださっている柏木しょうこ様、他の字幕担当者の方々、NTLiveを上映してくださっている各地の映画館の皆様、皆さんのおかげで様々な珠玉の作品に出会えました。本当にありがとうございます。
ずっとこの素敵な試みが続きますように。心から願っています。

皆様、良いお年をお迎えください!

安全な場所から傷を眺めるということ(「フランケンシュタイン」「橋からの眺め」「善き人」について)

この記事は「ナショナル・シアター・ライブ(NTLive)10周年企画アドベント」の18日目の記事です。

アドベントカレンダー(記事一覧)は以下リンクからどうぞ。
素晴らしい体験の数々が読めます!
adventar.org

初めまして、Lilyと申します。
演劇や映画が好きでよく劇場や映画館に足を運んでいます。
今回、演劇を映像化し映画館で観る企画である「ナショナル・シアター・ライブ(以下NTLive)」が日本に上陸して10周年ということで、アドベントカレンダー企画(12月1日~25日まで記事を順番にWebに公開していくリレー企画)を実施しました。

元々は、はとさんが企画している「ぽっぽアドベント」というアドベントカレンダー企画が先にあり、その試みを大いに参考にし、「NTLiveとの思い出」と言うテーマで皆さんに記事を書いて頂いています。
ぽっぽアドベントは今年も開催されており、今回は「NEW WORLD」というテーマで有志が記事を公開しています。
こちらも是非ご覧下さい。
adventar.org


※これからNTLive「フランケンシュタイン」「橋からの眺め」「善き人」の内容についても書きます。
年末年始のアンコール企画で「フランケンシュタイン」「善き人」を観る予定の方は特に注意!

prtimes.jp

NTLiveとの出会い

私の初めてのNTLiveは、2014年の「フランケンシュタイン」(ベネディクト・カンバーバッチが怪物版)だった。
脳の普段使わない部分が刺激され、何とも言えない感情が浮かんでは、また違う感情がおそってくる凄まじい舞台だったのを覚えている。

序盤、怪物が陸に上がった魚みたいな動きや、産まれたての馬みたいな動きを繰り返して二足歩行できるようにいたるシーンがあり、そこの身体制御力がすごかった。時々手の関節が逆に曲がっていたり。
「リハビリしている患者をみて研究した」という冒頭の役者インタビューを思い出した。
体を再教育、というより自分の体がどうなってるかを動かしながら確認してる、生まれたての怪物。

寝転がってる怪物のもとに、フランケンシュタイン博士がやってくる。
生みの親の博士は、いきなり怪物を拒絶。
マントを投げつけて、「そこを動くな」と言い捨てて逃げてしまう。

その後、博士から拒絶されて町の方に逃れる怪物が蒸気機関車に出くわし、その蒸気機関車が工場?に、その後、繁華街の人々に変化していく場面が特に映画的でゾクゾクした。

フランケンシュタインは、神と人の関係性や科学技術と科学者との関係やら色々なテーマが含まれていると思う。
私は、その存在自体が不条理な親と子の物語だなと思いながら観た。
子供側からすると、「自分の意思とは無関係にこの世に放り出された」不条理さがあるし、親側からすると「自分のコントロール下に居てくれない」不条理さが親子関係には含まれるなぁと考え、そういう風に解釈して鑑賞した。

怪物が外界の刺激を受けてどんどん育っていくのと対照的に、殻に閉じこもって他者と分かり合えない博士が描かれたり、「愛」を語った怪物から花嫁を奪って殺したり、2つの異なる魂のお話かなあと思ってみてたら、ラストの展開で「いや、この2人は似てるんだな」と、思い直した。

怪物は「自分が受けた仕打ちしか返せない、生まれながらの異物」。
博士は「愛情を受けても返せない、家族の中の異物」(博士もある意味で怪物)。
社会の中で異物にされている(そういえば、differentって単語が良く使われていた)同士が、主人と奴隷の関係、生み出した側と生み出された側の関係をときに逆転させながら、最後まで離れられない。
お互いに向き合い続ける限り、あの2人は逃避行を続けるんだろうと思った。

怪物という人間ではない存在を主軸に置くことで、人間ってそもそも何なんだろうか?って事を投げつけられた気がする体験だった。

次に、特に印象に残った2作品について触れたい。
「橋からの眺め」と、「善き人」である。

「橋からの眺め」について。

(あらすじ)

シシリア系の違法移民である従兄弟家族を受け入れた主人公だが、溺愛する姪がその違法移民の一人と恋に落ちたことから悲劇が起こる・・・。
(NTLiveホームページから引用:橋からの眺め | ntlivejapan

主演のマーク・ストロングの大袈裟じゃないけど的確な表現力がすさまじい作品だった。
アーサー・ミラー原作ということで救いはない話なんだろうなと思って行ったら、やっぱり救いはなかった思い出がある。

舞台はほぼ正方形でガラスのような素材で囲まれており、プロレスのリングのような、水槽のような感じに見えた。

主人公のエディの哀れで恐ろしい点は、不適切な養育をする親がそういう傾向を持つと言われているように、本人は「これが相手のためなのだから正しい」と信じてやまないところだ。

エディは本当に心から悪気なく、周りを抑圧する。
だが、マーク・ストロング独特の思慮深さのある佇まいもあって(常に何かは考えてそうに見える)、このエディという人が特に直情的というわけでもなく、特に愚かしい人でもないであろうということが余計にお話の業の深さを感じさせていた。
あと、ホモソーシャルの息苦しい部分も描かれていたように思う。他の役者さんもすごく良かった。

「橋からの眺め」は、出来事だけをとりだせば1人の男の破滅話で悲劇だ。
だが、劇の始まりで弁護士が言うように
『シシリア系移民の社会ではアル・カポネは「偉大な男」であり、血縁でつながる場での「正義」が重視されている』
ということを絡めると興味深い。
弁護士が体現する「(アメリカの)法律」と、移民社会のその正義が重ならないことはある。
ではその矛盾はどうなるか?という話にも思える。

入国方法が違法である場合、移民局に通報することは法律的には問題はない。
だが、身内を裏切った者は移民社会で存在をゆるされないということは、冒頭ではっきりエディやベアトリスが説明している。
それは法律とは別の、厳格なルールだ。

だからエディはマルコに皆の前で裏切り者と呼ばれたら引くことはできない。
引けば、あの社会で生きていけなくなるからだ。
身の安全を優先して逃げることは合理的な判断かもしれないが、そちらを選べばもうその場所にはいられない。

カトリシズムに内在してる家父長制主義が強いシシリアの社会では、男性性が重視されていて、「男らしくない」ロドルフォは「ain't wright」と評されるし、カトリックの考えから同性愛者は軽蔑の対象となる。

また、キャサリンがエディに同情し「結婚相手を受け止めてない、相手の変化に気がつかない」彼の妻ビアトリスを批判するシーンも興味深い。あそこで、エディを見るまなざしに新しい見方が提示されていたように思う。

まとめると、「橋からの眺め」は、家父長制やマチズモ、ホモソーシャルな社会自体が、人と人との関係を終わらせ、崩壊させていく話であり、自覚のない加害性が最も暴力的であること、そして法律とは別の社会の「法」に背いたらどうなるか、を描いた話だった。

自覚のない加害性ということで思い出すのはもう1つ、私の印象に残った作品「善き人」である。
次はその作品について書きたい。

「善き人」について

私はAmazonプライムで配信されている「グッドオーメンズ」(2023年12月18日現在、シーズン2まで配信中)というドラマが好きだ。
主演はマイケル・シーンデイヴィッド・テナント
そのデイヴィッド・テナントの主演作がNTLiveにやってくると聞いて、劇場に駆けつけた。

そして観たのが「善き人」である。

(あらすじ)
世界が第二次世界大戦に直面する中、善良で知的なドイツ人教授ジョン・ハルダーは平和な暮らしをしていた。ナチスが台頭し、彼の安楽死についての論文を読んだヒトラーが彼を気に入ると、ハルダーもナチスの一員として働くようになる。彼の取り巻く環境は変化していき、昔からの友人の力にさえなれなくなるような状態に追い詰められ・・・。
(NTLiveホームページから引用:善き人 | ntlivejapan |good| C・P・テイラー| NTLive |ドミニク・クック|デヴィッド・テナント|ヒトラー|ナチス

ものすごくしんどく、身につまされる作品だった。

主人公のジョンがどんどんナチスに染まっていくのに「今はそういう社会だから」と自己弁護するのが本当にリアルだった。

自分や周りの人にとって「快適」と思うものを選択していくと、それがどんどん道義的な正義と反していくという物語に見えた。

ジョンにはユダヤ人の友人・モーリスがいて、何度も助け(出国許可証の手配)を求められるがそれを断る。
彼は心からそう思っている、という優しげな口調でモーリスに「いつかこの暴力も止まる、やり過ごせば良い」と語る。
その「いつか」は決してやって来ない。ジョンのようにそうやって静観してる内は。

そして、ジョンはナチスの台頭が激しくなった時には「僕ができることは何もない、もっと早く国から出ていけば良かったのに」と哀しそうに言ってのける。
その「善良」なテナントの表情が、何より恐ろしかった。

主人公・ジョンは、自分にとっての幸福にはすごく興味があるけど、社会的な正義にそこまで興味がないのでは?と思った。
いつだって自分にちやほやしてくれる相手(若い女性・アンやヒトラー等のナチス党員)にいい顔をしてる内に、権力の内側にとらわれていく。
彼の頭の中ではいつも音楽が鳴っているという描写があるが、それは逃避の一種で、彼にとって現実はいつも薄いベール越しに見える何かなのかもしれない。
音楽を利用した最後の場面の演出が今でも忘れられない。

幕間後の休憩あけに、原作者のC・P・テイラーについての映像が流れた。
そこで彼は音楽が好きで、戯曲を書くのにも音楽的な要素を取り入れていたことが語られる。
彼が好んだ3、4のエピソードを並行して語るやり方は、音楽の対位法と似ている、という話も出てきた。
これはまさに「善き人」の構造そのもので、こうした映像も見られて大変良かった。

もっと作品について知りたくて、「GOOD この善良な人たちが」というタイトルで日本語訳された戯曲を図書館で取り寄せて読んだりもした。
当該の戯曲は1984年の演劇雑誌「テアトロ」(496号)に掲載されている。

「善き人」では劇中、沢山の音楽が流れるが、NTLiveでは歌っていない場面で歌う指示があったりして驚いた。
冒頭の方で、帰宅したジョンと妻ヘレンが会話するところはト書きで「レシタティヴォで歌いかける」と指定されている。
(調べてみるとレジタティヴォは「オペラ、オラトリオ、アリアの中で、話し言葉で語るように歌われる部分」のことらしい:
レチタティ・ | 音楽辞書なら意美音−imion−より引用)

また、妻のヘレンとのちに妻となる女性、アンが会話する場面では辻音楽士の姿をしたヒトラーユダヤのウェディングソングを演奏する指定まであった。

戯曲も読んでみて思ったのは、このお話が遠い過去の物語ではないということだ。

私は産後からうつ病を患っていて、昨年障害者手帳の2級を取得した。
具合が悪いと起きられないこともあり、掃除や料理ができない日もある。そういう時はパートナーである夫や、ヘルパーさんに家事を代行してもらっている。

「善き人」では、主人公ジョンの妻、ヘレンは何らかの理由(ジョンはそれを「脳の病気」と決めつけている)で掃除や料理ができず、育児も難しそうに描かれる。
ジョンはヘレンより若く、おそらく家事もできるのであろうアンという女性を選び、ヘレンと子供達と別れる。
ジョンは病気の母親の介護を経験し、安楽死についての小説を書く。
それがナチスに気に入られて彼はどんどんナチスに取り込まれていく。
劇中彼が関わる「T4作戦」は強制的に障害者を安楽死させる政策だった。

この時代に私が生きていたら「社会に不要」というレッテルを貼られ、殺されていたかもしれない。
また、自分の中にジョンのような「自分の幸福や快適さを、社会的正義より優先する」側面が無いとは決して言い切れない。
自分にとって都合の悪い事実から目を背け、街が燃やされ、人が殺されていても、静観して頭の中の景色に逃げ込む。
そんな部分が自分に無いとは言えないのだった。

「橋からの眺め」も「善き人」も、自分が持っている無自覚な加害性を突きつけてくる作品だった。

私は、安全な場所から自分の傷を眺めるために映画館や劇場に行く。
自分の心ゆれる場所を知るために芸術があるのだと思っているし、自分の心ゆれる場所を観客に差し出せる演者のことをこれからも追ってしまうだろう。

NTLiveはそんな貴重な機会をくれる場所だ。これからもこの試みが続くように心から祈っている。

明日、12月19日は成山さんの記事です。配信とSNSシェイクスピアについて書かれるとのこと。
今から非常に楽しみにしています!

(参考文献、ページ)
・NTLiveホームページ:
https://www.ntlive.jp/
・音楽辞書 意味音:
http://imion.jp/
・雑誌「テアトロ」1984年、496号、P.140~190
「GOOD この善良な人たちが 」(C・P・テイラー 作、吉岩正晴訳)
(書誌情報はこちら:国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online

映画ダンジョンズ&ドラゴンズはいいぞ

ぽっぽアドベント2023開催おめでとうございます!
アドベントカレンダー(記事一覧)は以下のリンクからどうぞ。
adventar.org


16日目担当のLilyです!
今年のテーマは「NEW WORLD」ということで映画ダンジョンズ&ドラゴンズについて書きます。

2023年で最も面白かった劇場公開映画は?と聞かれたら迷いなく「ダンジョンズ&ドラゴンズアウトローたちの誇り」と答える。
映画ダンジョンズ&ドラゴンズは居心地のいい船とか、履き心地のいい靴みたいな作品だ。我々を見たこともないところに連れて行ってくれる。
これから、そんな映画の話をしたい。

※映画本編のネタバレがあります。未見の方はご注意ください。

ここが素敵!映画ダンジョンズ&ドラゴンズ

・冒頭から世界に引き込んでくる

映画は馬車が雪深い場所に囚人を移送してくるところから始まる。
この囚人移送のシークエンスがまた良い。
監獄の扉が開く仕組み、人間でない種族のゴツい囚人、囚人を繋ぐ鎖のギミック。それらの描写だけで「今からファンタジー映画が始まるよ!」という説明になっている。
台詞を使わないで世界観の説明を済ませる製作者たちの手腕、只者ではない。

連れてこられた囚人は、氷の長椅子に寝そべって編み物をしている男性・エドガン(クリス・パイン)と、芋を食べている女性・ホルガ(ミシェル・ロドリゲス)のいる囚人部屋に入る。
新人の囚人はエドガンの忠告を無視してホルガに性的な誘いをかけ、撃退される。

そう、この映画は女性がこの後も大暴れする役回りの映画なのだ。
また、ホルガと芋の描写は後々でも出てくる地味に重要なものである。ラストまで覚えていてほしい。

場面は変わり、二人は他の囚人に混じり、氷を割る労働についている。
エドガンとホルガは明日に赦免委員会を控えていることが会話で示される。
「ジャーナサン」という鳥人間の委員がいるから今回は仮釈放されそう、ということもわかる。

とりあえず、この事を強調して書いておく。

ここから10分くらいの場面を見て、面白い!と思ったらぜひ最後まで映画を見てほしい。

何故ならここからの場面には映画の魅力がたっぷり詰まっているからだ。
一時期、Twitterで話題になった「ジャーナサン」もちゃんと登場する。彼の行く末を見守ってほしい。

・音楽、美術、衣装全てが凝っていて素晴らしい

上記の鳥人間、ジャーナサンもCGではなく人が鳥人間の着ぐるみを着て演じている。
ファンタジー世界を表現するための風景、数々の魅力的なモンスター、エドガンが失った妻・ジアを象徴するサファイアブルーのトンボ、各キャラクターの衣装、エドガンが演奏する歌や各場面を盛り上げる音楽、わくわくする様な構造のダンジョンの数々。
どれも素晴らしく凝っていて、観ていると何処かに旅に出たくなるほどだ。
エンドロールの中世の絵を真似た仕掛け絵本の美術も素晴らしい。

映画内の美術や人物の絵を手元に置きたい+製作秘話を知りたい場合は、公式のアート&メイキングブックがおすすめだ!
なんと日本語訳も出ている。お求めは以下リンク先からどうぞ。電子書籍もあり。

https://www.borndigital.co.jp/book/31261/

・キャラクターがみんな魅力的

ここからいよいよ物語の根幹について触れるのでネタバレ注意です。
各登場人物について書きます。

エドガン)

物語の主人公であり、最初の語り手、仲間達のリーダーで作戦を立てる役割。
飄々としていて軽口を叩く吟遊詩人であり、盗賊。
演じているのはJ・J・エイブラムスが製作、監督したスター・トレックシリーズで主役のカーク船長役をつとめたクリス・パイン

エドガンはかつては正義の秘密結社「ハーパーズ」に入って活躍していたが、「見返りを求めない」組織のため生活が貧しく、家族(妻、娘)にもっと良い生活をさせるために盗みを働くようになり、捕らえられ、冒頭の囚人生活を送っている。

エドガン達は「悪党からしか盗まない」盗賊をしていたらしいが、映画内で息をするように遊牧民のゲル?から馬を盗んでてひどすぎると思った。遊牧民にとって大事な!!!財産!!!悪党以外からも盗んでる!!!ひどい!!!)

映画内でエドガンは死別した妻を生き返らせるためのアイテムを求めている。
失われた家族の絆を取り戻したい。
そんな普遍的な願いは、映画を観る人の共感を呼びそうである。

ただ、この映画は、この「家族の絆」を必ずしも「血縁関係」に求めない。

私は作り手のその姿勢がとても好きだ。
血縁がない、違う種族の者たちがどんな絆を築いていくのかぜひ注目してほしい。

エドガンは深い後悔を抱えて生きている。
仲間達が離散寸前の時に彼が取る行動は「とにかくみんなを鼓舞する」「頑張る」などのマッチョなものではない。
彼は「自己開示」「弱さを認めること」を選択する。
「失敗を続けるのをやめると、本当に失敗する」というエドガンの台詞は名言だ。
一行を率いるリーダーの姿勢として、とても現代的で素晴らしいと思った。

演じたクリス・パインの乗馬技術とリュート演奏力(ぢから)、歌唱力にも注目だ。
ちなみに彼は2023年12月15日公開のディズニーアニメ映画「ウィッシュ(Wish)」でヴィランの声を演じている。こちらも観るのが楽しみ。

(ホルガ)

仲間内で最も腕っぷしが強い戦士。
ある部族の出身だが、別種族の男性と結婚したことで部族から関係を切られている。
エドガンとは恋愛関係にないが、慣れないワンオペ育児と妻の死で打ちひしがれた彼を見ていられず、手を貸して同居し、娘のジアを共に育ててきたパートナー。

夫との関係はうまくいかず、離婚している。
これまで男性が演じることを担ってきた「配偶者としてはダメすぎる存在」を女性キャラのホルガが役割として担っているのは興味深い。

敵役・フォージの住む城でホルガは二度ほど大暴れするのだが、その時のアクションの見やすさ、斧の使い方は本当に素敵である。

ホルガがエドの娘、キーラを「bug」と呼んで、エドは「honey」と呼んでいるのもキャラクターの特徴が見えて良い。
エドの妻の象徴がサファイアブルーのトンボなのと、「bug」という愛称がさり気なく重ね合わされているのも気が利いている演出だ。

演じるのはワイルド・スピードシリーズでお馴染みのミシェル・ロドリゲス

(サイモン)

立派な大魔術師を祖先にもつ、ハーフエルフのソーサラー(魔法使いの一種)。
映画内で急成長する役割。

元々はエドガンの盗賊仲間だったが、一行が離散し、金を稼ぐためにしょぼい魔法を見せ、その隙に財布を盗むという問題のある金の稼ぎ方をして暮らしていた。
エドガンとホルガに誘われ、再び仲間になる。
後述するドリックに惚れているが、告白して振られている。

サイモンの成長を妨げていたのが「立派な祖先に引け目を感じ、低い自己評価をつけていた自分の意識」だったというのは、とても身近にありそうな描写で、どんどん魔法をパワーアップしていく彼の活躍に共感し喜ぶ若者も多いのでは?と思う。

レッドドラゴンから逃げる時にさりげなくドリックの手を引いていて、その一瞬の場面が好きです。

演じるのは「名探偵ピカチュウ」でピカチュウの相棒を演じたジャスティス・スミス。人好きのする佇まいがとても素敵な俳優だ。

(ドリック)

動物に変身できる魔法使い・ドルイドの少女。種族はティーフリング(悪魔の血を引く種族)。悪魔っぽい角や尻尾が生えていて、そのためか両親に捨てられ、森のエルフに育てられた。
敵のフォージの無茶な森林開発のために、森のエルフは住処を脅かされており、フォージを倒すためにエドガン達に協力する。

クラスはドルイドで、様々な動物に変身できる。
ホルガと共に大暴れする女性キャラクター。
彼女が変身するアウルベア(フクロウと熊を組み合わせたモンスター)の純粋な暴力にはひれ伏すしかない。

劇中、フォージの城に単身で潜入した彼女が様々な動物に次々変身して、城から逃げるワンカット風のシーンは必見!

演じるのはリメイクされた「IT(イット)」シリーズに出演していたソフィア・リリス
これからの活躍が楽しみな俳優だ。

(ゼンク)

一時期、ジャーナサンと共にTwitterをにぎわせた「セクシーパラディン」その人である。

クラスはパラディン(聖騎士)。剣を使って戦うが、剣に魔法を込めて強化しているっぽい描写がある。

敵のふところに潜入するための重要アイテム・魔法破りの兜を持っているのでエドガン達に助力を頼まれ、協力してくれる。
ある悲しい事情で、故郷と両親を失い、普通の人間より長生きになっている。
大変真面目で、堅苦しく、かつセクシーである。
また大変強く、強すぎて「この人がいれば全て解決する」ためか途中で仲間から離脱する。

また、言葉を文字通り受け取る特性があるが、エドガンとホルガが恋愛関係にないパートナーであると描かれるのと同様、「そういう人」としてさらっと描写されるので好き。

余談だが、彼は耳がよく、エドガンが小声で「大嫌いだ」と呟くと、それを聞いて微笑むという場面が物凄く印象に残った。
長生きのゼンクからすれば、エドガンの悪態も可愛い犬がした悪戯の様なものなのかもしれない。

演じるのはNetflixのドラマ「ブリジャートン家」でも大変ホットだったレゲ=ジャン・ペイジ。

(キーラ)

エドガンと亡き妻・ジアとの娘。エドガンとホルガに育てられた。
エドガン達が捕えられたため、逃げ延びたフォージに保護されている。フォージから嘘を吹き込まれ、エドガンを軽蔑している。

フォージに物凄く気を使ってる表情を見せており、彼を邪険に扱ったらいつ捨てられて路頭に迷うか分からないので表面上は友好的に接するしかなかったんじゃないかなぁと思った。
本心から懐いてるというより、懐いてると思ってもらわないと困る立場に追い込まれているというか。
子供にそんな思いさせちゃ駄目ですね……。
エドガン達は彼女のケアをしっかりしてほしい。

演じるのは傑作ラブコメ映画「マリー・ミー」でも娘役を演じたクロエ・コールマン。

(フォージ)

敵役その1。
かつては詐欺師として活躍、エドガン達の仲間だったがみんなが離散した後は、ネヴァーウィンターという街の領主になっている。

演じるのはロマコメの帝王、ヒュー・グラント
パディントン2」でも素敵な敵役だったが今回も胡散臭い笑顔の詐欺師を好演。

エドガン達と盗賊をしていた頃のフォージの方が、大金持ちになって街を支配してるフォージよりもずっと楽しそうなのが切なかった。

ヒーロー(英雄)とは心意気や生き方や出自などではなく「誰かが見てなくても皆のために行動すること」だという劇中描写とは対照的に、物凄く自分をアピールして影で悪いことをしている。

街の領主なのでフォージの顔が描かれた気球が出てくるのだが、それがあまりに素敵な胡散臭いスマイルなのでめちゃくちゃ乗りたかった。フォージ印の紙ナプキンも、110円くらいで買いたい。

ソフィーナ

敵役その2。
カルト的な魔術師集団、レッドウィザードの一員で強大な力を持つ魔法使い。

強すぎて倒し方がわからないタイプのラスボス。
劇中、ボスのザス・タムと魔法で遠隔通信している場面が在宅勤務っぽくて良かった。途中で人に邪魔されるのも、在宅勤務あるある。

ソフィーナの赤いローブと、エドガン・ドリック・ゼンクの身につける緑色(青っぽい緑色含む)が対照的なカラーで視覚的に対比になっていて好き。
サイモンの身につける黄色の服とフォージの黄金っぽい模様のローブも、かつては仲間だったことを示していて好き。

演じているのはデイジー・ヘッド。

最後に。

私がこの映画で一番印象に残ったのは、とある理由で妻を失い、幼い娘・ジアと二人だけで生活をしているエドガンの場面だ。

ここで少し自分の話をしたい。
私にも2歳の子供がいるのだが、子が0〜1歳、保育園に入園する前の時期はほぼワンオペで子を育てた。
夫と私の両親はまだ働いているので滅多に頼ることはできない。民間のベビーシッターは高額で本当にスポットでしかお願いできない。
夫は転職したばかりで自由に休むことが難しく、昼間子と2人きりで過ごした。

当時のツイートを発掘したので貼っておく。


これは産後2週間の頃の記録である。
つまり散々体を酷使した出産の直後、まだふにゃふにゃの0歳児につきっきりで寝ずに育児していたことになる。この頃の記憶は無い。しんどすぎて体が思い出すことを拒否している。

エドガンはハーパーとして活動していて、恐らく日中はほぼ家におらず、長期間家を空けることもあっただろう。
そこに突然、妻の死が訪れる。
映画の舞台は中世っぽいファンタジー世界なので、当然家電は無い。
ベビーシッターの制度もなさそうだし、子育て支援などの福祉も充実してなさそうである。
つまり、これまで妻に全てお願いしていた家事と育児を突然ワンオペでしなければいけなくなったのだ。
映画では妻がいた頃飾られていた花は萎れ、スープは煮えて吹きこぼれ、赤子である娘は泣きまくっている。
ワンオペ育児のあるあるが全て詰まっている。タスクは山積みなのに誰も頼れない。

優れた作品は、他者だと思っていた存在(ここではエドガン)の中に自分を見出させてくれる。
また、自分の中に他者を見出させてくれることもある。

映画の中ではホルガの登場で、私の生活では子の保育園入園によって、ワンオペ育児は終わる。

この映画によって私は、遠い存在だと思っていた主人公エドガンの中にかつての自分を見出し、私の中にエドガンの様な要素を見出せた気がした。
エドガンは多くの過ちをするが、現在の選択によりそれを贖おうとする。
また、サイモンの兜使いこなしチャレンジ、エドの提示するプランA・B・C、そうした描写は「過去に何があったとしても、そこから再出発できるんだ」という作り手の眼差しを感じる。
私もまた、日々間違った行動をしているが、そこからまたやっていけるのではないかという勇気を、この映画はくれた。

この映画の好きなところは多々あるが、そうした作り手のあたたかい目線が一番好きなものだ。

冒頭で、「映画ダンジョンズ&ドラゴンズは居心地のいい船とか、履き心地のいい靴みたいな作品だ。我々を見たこともないところに連れて行ってくれる」と書いた。

この映画の配信をきっかけに、Twitterで同時視聴企画を立てて実施できた。
そして、ぽっぽアドベントに初参加でき、この様に記事を書く機会も頂いた。
素敵な作品は思わぬところへ自分を連れて行ってくれる。

ちなみに、Netflixに加入していると映画ダンジョンズ&ドラゴンズを視聴可能である。(2023年12月16日現在)
https://www.netflix.com/jp/title/81631823


今回は書ききれなかったが、吹替版も声優陣がとても豪華でよく出来ているので、字幕版と共に視聴してみて欲しい。

ここまでお読みくださった方、本当にありがとうございました。

明日、12月17日はまどりさんの「韓国語学習を始めた話」の記事です。

今から読むのが楽しみ!


(参考)
映画ダンジョンズ&ドラゴンズ公式ホームページ
paramount.jp

愛されなかった子の行く末――『リチャード三世』

最高だった…まさかほぼオールメールバーレスクが観られるなんて…。

(あらすじ)
言葉を巧みに操るグロスター公(佐々木蔵之介)が腹心のバッキンガム公(山中崇)らと組んで王位継承権のある者・自分が王座に就くのを邪魔する者をどんどん排除していき、王になるが、やがて反旗を翻され滅びていく。

佐々木蔵之介演じるグロスター公は最初ある切っ掛けから「権利欲に取り憑かれた残忍冷酷なグロスター公」を演じ始めるような演出がなされる。様々な人間を蠱惑的に誘惑する彼が最も熱心に愛するのは玉座

突飛な演出の様で、グロスター公ことリチャード三世が本音を漏らすシーンではほとんど衣装を身につけていない(黒レザーのパンツのみ)(服を着る=役割を演じている、嘘を纏っている)など、明確な意図が見えやすい舞台だったと思う。バッキンガム公との関係の解釈が悪党同士の蜜月になってたのも好き。

主役の佐々木蔵之介さんのリチャードは子供が権力を握ったらどうなっていくか、というアプローチですっごく魅力的で、反面「子供を演じてる孤独な大人」の様に見える瞬間もあるのが多層的。誰もが仰るだろう、今井朋彦さんのマーガレットの鮮烈さと冴え冴えとした恐ろしさ。呪いを振りまく、とはこの事。
ラジオでの聞きかじりの知識なので間違ってるかもしれないけど、プロレスが上手い人は箒ともプロレスが出来る、という例えがあって、佐々木蔵之介のリチャード三世は椅子と愛を交わせるんですよね・・・・・・。


私が唯一観た他のリチャード三世は2012年新国立劇場で上演された「リチャード三世」で、岡本健一さんがリチャードを演じていたんだけど割とキャラクターはリアル寄り・ところどころ戯画的な演出があったことを思い出す(子役は出ないため、2人の王子はマペットで表されるなど)。その時もリチャードは権力を手にしてしまった子供、という色が強く、あれほど望んでいた王冠は明らかにボール紙で出来たオモチャのような金ぴかの王冠で、権力の座に登りつめても岡本リチャードはちっとも幸福そうじゃなく不機嫌さを隠さなくなりどんどん子供じみていく。

岡本リチャードは基本的に人を騙すときは陽気で人なつこい笑顔ばかり浮かべるんだけど、母親に出生を呪われたときだけあからさまに「面倒くせぇな・・・・・・」と一瞬感情を露わにする。岡本リチャードが自己愛の肥大した子供なら佐々木蔵之介のリチャードには自己愛すら無い(抱けない)子供に見えた。

佐々木リチャードも権力の座に登りつめた瞬間は玉座を愛撫してみせたように一瞬幸せの絶頂までいくんだけど後はずっとちっとも楽しそうじゃない。生きることの象徴である食事シーンでも、本当にただ餌としてシチューのようなものを貪り、ガソリンとして酒を飲む。彼自身が自分を愛していない。自分を愛せず、誰かに愛を向けてもすぐにそれを踏みにじってきた男は一時の後悔の後、最後まで与えられた暴力で悪ふざけをして去っていく。男性達の退廃的で猥雑でフェティシズムの詰まった悪ふざけをただ一人だけ外側で観ているのが唯一の女性が演じる「代書人」。この世で真実を言うのはこの道化だけ。
作者の格好をした代書人はどの場面でも宴や狂乱や殺戮の「外側」にいて場を見つめリチャードに「道化の役」を授ける。ヘイスティングズへの判決文を清書しリチャードが彼の罪をでっち上げた事を知っている。構造を知る彼はあからさまな悪が見過ごされる事を嘆きその手には判決文という名の台本を握る。リチャードが無理のある策略や誘惑を成し遂げるのはあくまで、それが歴史の中で彼に「与えられた役割」だからできるのだ、という俯瞰した視点を代書人が担保している気がした。劇中どれだけ派手な饗宴や凄惨な殺戮シーンがあっても、この「外側」からの視点があるからどこか淡々とした空気もあった。


「リチャード三世」で描かれる「悪」は、男達の内輪受けの中にあった。この描写が今になってぐさぐさ胸を刺してくる。

冒頭のリチャードの独白
(有名な『今や我らが不満の冬は去り、ヨークの太陽が輝かしい夏をもたらした』のくだり)、これまで観客と主役の秘密の共有・悪役としての意思表明のシーンとして描かれてきたものだけど、今回の芸術劇場版リチャード三世では、独白では無く内輪受けの悪ふざけの笑いの中にある。

内輪に受ける、内輪で笑いを取る、内輪で認められるために何かが踏みにじられ嗤われる。あそこにあった悪は最も卑近な形をした悪で、だからこそ恐ろしい。
最初から「悪ふざけ」として悪が始まり、最後まで「悪ふざけ」は続くわけですが、有名な亡霊達に罵られ呪われる悪夢のシーンですら、亡霊達はリチャードの死を笑い嘲り、その中には想いを交わした相手だっているんだけど、それすら全部、「悪ふざけ」の中に消えていく様が悪辣で、だからこそ切ない。

劇中の暴力描写でどれも日常よく知っている道具が淡々と使われるのもまた、想像できるからこその恐ろしさがあった。誇張された表現の中に物凄く身近な暴力が潜んでる構図があったからこそ、頭に焼き付くし忘れられない舞台になったよ……

芸術劇場でプルカレーテ氏演出の「リチャード三世」を観た時、最も惹きつけられた要素は何だろうとしばらく考えていた。多分それは、権力を巡る史劇だったものがひとりの男の内面に潜んでいるものを引きずり出すようなお話へと変化していたことかもしれない。ここは明確に好き嫌いが分かれる点でもある。

メゾやマクロな範囲の話(その中には主役のリチャードと観客の秘密の共有=悪党としての独白も含まれる)を、あくまでミクロな物語としてアプローチする試みって、一歩間違えると問題を矮小化してしまったり、元々あったお話の広がりを消してしまうことにも繋がるけど私は今回の試みは好きだった。
これまでのリチャード三世は戦乱の世が平和になり居場所を追われると感じた人が自分の意志で悪党になるというイメージだったのが、今回は機能不全な家族の中で自尊心を育てられなかった人が、周囲から与えられたイメージをなぞる様に悪党であり道化を演じる、という受動的な印象で、そこがこれまでより幼さを感じさせるなと思いました。自尊心が低いと他者からの評価を取りこぼす、という描写が自分にも覚えがあって辛かった……。
リチャードは最初に道化の扮装を受け取り、最後も差し出された役割を引き受けておわった様に見えてそこも哀しい。観客は彼とバッキンガム公との一連の感情の交差を見届けてきただけに余計切ない。じゃあどうしていれば良かったんだろう…と考え込んじゃう。


多分意図的にマーガレットの存在感を増しているし、彼女の予言が操り糸のように登場人物を動かしていく見せ方をしていたと思う。ト書きで「死んだ」だけで処理されるところを丁寧に淡々と処刑シーンとして見せるのもその一環のよう。

誰かが死ぬ度に彼らはマーガレットの予言を思い出し、その通りであったことを呪う。マーガレットは軽やかにステップを踏み、死者達を見送る。中嶋朋子さんの演じていたマーガレットもドライフラワーの花束を握りしめていて壮絶に呪いを振りまいていたけど、今井さんのマーガレットは常に優雅に佇む。予言から逃れかけていたのに、近付くなと言われた相手と関係を断ち切れず、悲しみで心を引き裂かれる事になったバッキンガム公……彼女の呪いが降りかかったことを思い知った後、自分を処刑台に送った相手に手を握られるバッキンガム公……。因みにカットされた台詞にあるけど彼の処刑は万霊節の日。上演ではカットされた部分だけど、処刑前のバッキンガム公は万人の霊魂を慰める日が自分の肉体の破滅する日だ、神は悪人の手にする剣先を持ち主の胸元にお向けになる、と語る。

自分で自分を哀れむことがない、自身を愛することのないリチャード三世。忠誠心や愛情をいくら注がれても自尊心という器に穴があいていてはどんどんこぼれ落ちていく。愛されたことが蓄積していかない。その様子が本当に哀しかった。

リチャードが杖をついていたりコルセットをはめていたり首にギプスをはめてたり腹や背に詰め物をしていたりと風体が一定ではないのはどうしてかな、と考えていて、この劇自体がリチャードの内面に深く潜り込むものだとしたらあれらの衣装は彼が自分自身を歪な存在だと見なしてるって表現な気がしてきた

つまり男性版「イグアナの娘」=リチャードなのかな、と思う。あなたはちっとも醜くないんだよ、と周りから指摘されても耳に入らないグロスター公……
リチャードの何が辛いって自分に向けられた愛情に自覚的だったのに自分でそれを台無しにして、そしてもうその愛情は二度と取り戻せないと気がついているところだった。

俺達はどこへだっていける――「チック」

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行く道も帰る道も、自分で決めれば良い

 シアタートラムで観た「チック」が本当に素晴らしかったのでしみじみしている。
ドイツの児童文学が原作で、家は裕福だけど周りとうまく関われず親からネグレクトを受けているマイク(篠山輝信さん)とロシア系移民で転校生のチック(柄本時生さん)が盗んだ車で旅をする話。

原作が好きで映画(50年後の僕達は)も観た上で観劇したんだけど、柄本君演じるチックは肩の力が抜けててすごく「世間を知っていそうな」子供に見えるんだけど、旅を続ける内に彼の孤独が見えてくるのがとても良かった。
マイクのお母さん(那須佐知子さん)はアルコール依存症でマイクはお母さんのキャラクターを気に入ってるけれど、それでも病気のことは気にしている。
マイクのお父さん(大鷹明良さん)は子供に無関心で堂々と浮気をしてはお母さんと喧嘩ばかりしている。
マイクもチックも、旅の途中出会う少女・イザ(土井ケイトさん)もみんな違った形で社会からはみ出し、はみ出していることを自覚している。

舞台の演出も遊び心がたっぷりで大変良かった。途中で見つけるブラックベリーがとても大きなぬいぐるみみたいな造形で絵本的な誇張があったり、二人が乗る盗んだ青い車の運転席と助手席が客席の一番前の真ん中につけられてて、舞台の上のカメラで二人の演技をうつすようにしていたり、ドライブの様子がわかるようにチックやマイクが青い車のラジコンカーを舞台の上で操作して動きを表したり、ライブカメラを使って役者同士がお互いの表情を撮り合って舞台上のスクリーンに映し出したり。

映画のチックはマイクと出会わないと死んでしまっていただろうな、と思う感じだったんだけど、柄本君のチックは、マイクとであ出会わなければ精神的にきつかっただろうなと思うキャラクターに仕上がっていた。
途中、チックが「自分は女の子に興味がない」とマイクに告白するシーンがあるんだけど、マイクはその時、
「この時、自分がゲイだったらなぁと思った。そしたら全部解決するのにって。でも僕はチックより女の子の方が好きだ」と内心考えて、とりあえずクレイダーマンのカセットをかける、という対応をする。
チックにとってそれがどう思う対応だったかは語られないんだけど、拒否されず、チックがチックであることをそのまま受けとめたマイクみたいな友人を得られて、本当に良かったなと思えた。

チックとマイクとイザも彼らが旅の中で出会った人達も、皆が祝福された生を続けられるよう願わずにはいられなくなる舞台だった。
マイクの言う「父さんにこの世の90パーセントはクズだと教わってきたけど、旅の中で出会った人達は残りの10パーセントにはいる人達ばかりだった」という言葉が忘れられない。

那須佐知子さん、大鷹明良さん、土井ケイトさんはチックとマイクが旅先で出会う人達も演じ、場面によって色んな役になる。大鷹さん演じる幼児の衝撃は果てしなかった。
結局、マイクにとってもチックにとっても相手の属性がなんであれお互いにとって相手が一緒にいて面白い相手かどうか、が全てになってる気がして、それはこの世で一番大事なことのように思えた。
ラストシーンは小説版、映画版、今回の舞台版も同じで、お母さんが家中の家具をプールに投げ込んで、マイクも同じ様にした後、
プールに飛び込みこれまでのこと・これからのことに思いを馳せるところで終わる。

チックもマイクもイザも、お父さんもお母さんも、社会から少しだけはみ出しているけれど、だからこそいつだって、どこにだって行けるのだ。それに気付いてさえいれば。


(余談)
那須さんが演じるアイス売りが「今日は特別に日本のお菓子をおまけにあげる」といって柄本くんに都昆布を渡したら小声で「ほんっとうに(食べられない的意味)無理なんで・・・・・・」と拒否しながら言ってて笑った。

今日はおうちに帰らない――『大人のけんかが終わるまで』


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みんな、大変。

『大人のけんかが終わるまで』(2018.07.19  19:00~@シアタークリエ)

 


役者さんの細かい演技が見事で「演技が上手いなぁ……」という小学生みたいな感想をもって家路についたと同時に、翻訳劇を上演する時、元の戯曲にあったものをどこまで残し、何を刈り取るのかって本当に難しいんだろうなと感じた芝居だった。


数年前、市村正親さん・益岡徹さん・平田満さんの3人芝居で『ART』という劇を観た。

戯曲者は同じ、ヤスミナ・レザ。

 

これがもう、とても面白かったのです。今回のお芝居と同じで、出てくる人達がずっと喧嘩してる話なのだけど。

男性の友達グループの1人が、大金をはたいてよく分からない絵(白い絵の具が塗られたキャンバスに、白い線が描いてある絵)を買ったことで別の友達と喧嘩になる話。

「ART」の喧嘩の行き着く先は、「本当は何一つ交わってないけど、それはそれとして友達でいたいから落としどころを見つけてやっていく」様に見えて、その様(登場人物同士の関係性の変化・変化しなさ)が可愛らしく思えた。

 

しかし今回の「大人のけんかが終わるまで」はたぶん、私が出てくる人達の関係性に興味を持てなかった。それでつまらなく思えたのだろうと、今では思う。

もっと言えば、アンドレアとボリスのこれからに興味がもてない、というのが感想のほとんど全て。

後は

・暗転が多すぎること(ただでさえ喧嘩が沢山出てきて煮詰まって見えやすい劇のテンポを遅く感じさせる)

・盆がゆっくり回転しつつ劇が進行するという演出があまり効果的にはみえなかったこと

・音楽単体は素敵だったんだけどそれぞれの繋がりがあまり見えなくて観ている側の集中が切れやすかったこと

・「落としどころを見つけられた人達」(イヴォンヌ達の一家)と「落としどころを見つけられない人達」(アンドレアとボリス)の対比において後者側の関係性の変化が見えにくかったこと

などなど、幾つかのれなかった要素がある。


「ART」では高いお金を出して絵を買った人と、高いお金を出して絵を買うことが信じられない人が出てきて、前者が落としどころを用意するんだけど、アンドレアもボリスも相手のことを思いつつやっぱり自分のことで精一杯でそれが難しいという関係が幕開けから最後まで同じなので疲れちゃったかな・・・・・・

 

登場人物個々の魅力はとてもある芝居で、‏アンドレア(鈴木京香さん)が本当に愛らしくって大好きにならずには居られない人なんですよね・・・・・・。本当にキュートで、情緒不安定で、こういう人が居たら好きにならずにはいられないだろうな、というキャラクター。
ボリス(北村有起哉さん)のセクシーさも凄まじく、こういうだめで色気があって自己憐憫にひたる男をやらせたら北村さんの右に出る人はいないんじゃないかと思う。

 

 途中、アクシデントだったのか、北村さんが持っているシャンパングラスの持ち手が折れてしまったんだけど、何事もなかったように芝居を続け、グラスを観客から見えないように置いてたのが凄かったなぁ。藤井隆さんもさりげなくそれをアシストして、割れたグラスの破片を回収してました。


アンドレアがイヴォンヌに優しいのは自分の母親に対する後ろめたさがあるのかなという様に見えた。
イヴォンネとアンドレアは同じ側(この日常を壊したい、面白く生きたい)に立っている他人同士で、こういうキャラクターは好きです。
序盤、アンドレアが「普通の大人で居て」と娘にスカートの短さを指摘された話をする場面が印象的で、言われた言葉をぽつりと口にする彼女の引き裂かれ方と、ボリスの「普通に見えるよ」という優しいんだけどそういうことではないんじゃないか・・・・・・、というフォローが良かった。

普通の大人でいたくねぇな~って日々思ってる人間に突き刺さる。


アンドレアも安定剤に依存してるし、皆タバコや母親や女性に何かしらかの依存をして立ってる、というのが本当にあるあるだなと思う。

認知症のイヴォンヌだけ何かに依存してない様に見えるのが面白い。

追記:自分で書いておいて?って思ったけどイヴォンヌも「物」(記憶を書き留めておく手帳=アイデンティティを保持してくれる物)に依存はしているのかな。

イヴォンヌが落としていった手帳に書いてあることをボリスが読み上げて嗤って、それをアンドレアがとめる場面、良かった。同じ様なことで嗤えてた間柄の筈なのに、いやそこは嗤えないわ……というのが露になるのがリアル。

麻実れいさんはイヴォンヌというキャラクターをとんでもなく魅力的に演じてて、あの困った人なのに愛らしさが止まらない、いつだって気高くあろうとする様はすごい。


終盤、口論になってアンドレアがボリスの背中を叩きながら、スローモーションで二人とも地面に倒れ込むところに白い羽の欠片が吹き付けられる演出があり、2人共どこにも行けないし、しがみつく様に一緒に居るしか仕方がない、という感じではあったんだけどそもそもこれ、そんなにシリアスなお話なのだろうか???という居心地の悪さもあった。

基本的に怒っている人同士の会話ってもっと面白くもできたんじゃないかな、と勿体なく感じた。

笑えるシーンもあって、藤井隆さんの役どころが「とりあえずその場を何とか維持しようとする」人で大真面目なんだけどずっとズレっぱなしでズレに無自覚なので可笑しかった。