演劇事始

演劇や映画や、みたものの話

恋とは災害である――『フェードル』


だって仕方ないじゃない、愛してしまったんだから



ネタバレを含みます。


私は蜷川幸雄演出・藤原竜也主演の「ロミオとジュリエット」という舞台で初めて髙橋洋さんという俳優を知りました。
その時の役柄はロミオの友人・マキューシオで、丸いサングラスをかけて下卑た冗談を交えて弾丸のような喋りでロミオの恋路をからかい、死んでいくものだったのですがとにかく異様に生命力の強い塊をみた、って感想でした。マキューシオは本当においしい役というか、役者だったら演じてみたい立ち位置なんだろうなというのが分かったのは、もう少し後になってからです。

時を経て「アドルフに告ぐ」という舞台を観ました。
髙階洋さんはヒットラーの役でした。
小柄な体格で軍服を着こなし、常に張り詰めた空気でその場にいて、もう正気じゃなくて、全てを疑い、それでいて愛する女性に自分を全て承認して欲しくて仕方がない、哀れな男を演じていました。
切れ長の目がぎらぎら光って、時に暗く沈んで人を呪い人を殺していく様は悪夢のようで、でも魅入られてしまう。
彼が死んだ時には心底ほっとしてしまった。

舞台には善悪はないんじゃないかと時々思います。
現実に居たらこの上なく厄介だし関わりたくもない人間でも、ステージの上では魅力的な、ずっとみていたくなる人になり得る。
「フェードル」でタイトルロールにもなっている女性・フェードル(とよた真帆)もその様な人の一人です。

「フェードル」のあらすじを書いてみます。
・義理の息子のことが好きになっちゃったフェードルさんがめんどくささを振りまき周りを巻き込むだけ巻き込んで死ぬ。

簡潔に書くとこんな話です。
それではあんまりなのでもうちょっと書きます。

ときは神話の時代、場所はアテネの国です。
フェードルさんはある国の王妃、夫は国王で有名な英雄・テゼー(テセウスの名で知られてます/演じるのは堀部圭亮)。
2人の間には子どもも居る。
テゼーの前妻との子で美しい王子・イポリット(中島歩)は冒険の旅に出て戻らない父を案じ、自らも父を探す旅に出ようとしている。
そして「自分の父親が滅ぼした一族の生き残りの娘・アリシー姫(松田凌)に恋をしている」「でも俺達は敵同士だから報われなくて苦しいので国を出るね・・・」と養育係テレメーヌ(髙橋洋)に打ち明ける。
テレメーヌは演出上、1人だけ太平洋戦争時の日本軍みたいなカーキ色の軍服着て、「挺身隊」って書いた襷(たすき)をかけている。
今まで自分が育ててきた王子が微笑ましい初恋をしてるのをにやにやしながら聞いているテレメーヌ。
誰も本気で国王のこと心配してない気がするけど気のせい。

※イポリットはフェードルからしたら義理の息子で、血の繋がった子ども達に次の王位継がせたい!と思ってる(ように振る舞ってる)ので今までフェードルはイポリットをいびり倒していた。
だからテレメーヌもイポリットもフェードルは嫌い。

※テゼー王は冒険大好きじいさんなので、若い頃から色んな女性と浮き名を流してきていて、イポリットはそういう父親の浮気性に反発して恋もしてこなかったけどアリシー姫のことは好きになっちゃって苦しい。この時代から恋愛後遺症は旅で治そうという文化があったのか。

その頃、フェードルは自分は本当はイポリットに恋しちゃっていて、こんな恋してちゃだめだ!と分かってるから嫌いになろうとしていびり倒してた。。。みたいなことを今更乳母のエノーヌ(馬淵絵里香)に打ち明けている。
この時点で昼ドラも真っ青のドロドロっぷりとこれからろくな事が起こらないという予感が観客に巻き起こる。

・エノーヌに「もう無理、恋って苦しい、もう死ぬ」って言いまくってるフェードルさんのもとに凄いニュースが飛び込んでくるよ。
「テゼー王が旅先で死んだらしい」
衝撃でぶっ倒れるフェードル。
エノーヌは「夫が死んだんだったらあなたの恋、褒められたものじゃないけど何とかなるんじゃないですか?」とまたろくでもないアドバイスを吹き込む。
フェードル、最初は無理でしょ~って言ってたけど段々その気になってイポリットの到着を待つ。
「今までいびってたけど本当は私あなたのことが好きだったんです」って打ち明ける決心をつける。
修羅場の予感だけがある。

・出立する前に一応礼儀として義理のおかん・フェードルさんに挨拶に来るイポリット。
自分をいびり倒してきた相手だから全然気乗りはしないけど王妃は王妃。
・直前までエノーヌに散々恋心を喋りまくりテンション上がってたフェードルさん、告白。
・イポリット、もちろんドン引き。
「聞かなかったことにします」
・フェードルさん、「そうよねーそう思うのも無理ないし私も今まで散々こんな恋はいけないって思って悩んでたんだけどやっぱり好きだから・・・本気で好きだから。。。こんな恥ずかしい告白しちゃったんだからいっそ殺してよ!!」とイポリットの王剣を奪います。
・エノーヌが飛び入ってきて「剣持ってなにやってんですか?!」と止め、「テゼー王やっぱり死んでませんでした!」という流石に笑うしかないニュースを聞かせます。
・フェードルさんもイポリットさんも「え・・・・・・」という空気になり、王の帰還となります。

・髭ぼうぼうのテゼー王、久々に帰ってきて妻の顔を見たら
「私はあなたに愛される資格ないの」などと唐突に言われ立ち去られ、息子も凄い気まずそうな顔で出迎えるし
「お父さん、ぼくはこの国を出ますので許可を下さい」などと言ってきます。
テゼー王、当然困惑のち怒り。
「死ぬ思いで何とか帰ってきたら一族が自分を避けるんだけど何が起こったんだ???」と当然の疑問を投げかけます。
しかしこの王様も自分の国を放置して親友の恋をたすけるためにどこか遠い島に行ってたらしいから別にそんなに同情も出来ない。
・テレメーヌに義理のおかんに告白された話をしようとするも「やっぱ言うの止めるわ」と思いとどまったイポリット、出立しようと決心再度固める。テレメーヌは基本的にイポリットを応援しており手伝ってくれます。

・その頃のエノーヌと大荒れのフェードル。
「やっぱ言うんじゃなかった今更どの面さげて王妃やれば良いんだ」
と大後悔。

何だかんだあり、イポリットはアリシー姫へ恋を打ち明け、お互いの気持ちを確認し合い、それをフェードルが知ってしまったことで彼女は「イポリットが自分を襲った」という嘘を夫に侍女を通じて話し、怒り狂ったテゼーはイポリットを追放。
テレメーヌの手引きのもと、イポリットは憤慨しつつもアリシー姫と駆け落ちをし国を出るが、テゼーが真実を知った頃にはイポリットは海の怪物に襲われ死に、アリシーも自殺。
元凶となったフェードルは自らの罪の重さに狂乱し、テゼーとテレメーヌの目の前で王の剣を使い自殺。
後味の悪い結果に、というのが原典の「フェードル」の展開。

舞台では最後が改変され、フェードルに恋をそそのかし(それも彼女を思ってのことだったのですが)結果的に最悪の事態になったことで怒りを買い解任された侍女・エノーヌと、王子の養育係・テレメーヌが駆け落ちのあと二人が死んだという嘘を仕立て、国に愛想を尽かし出ていくという展開になっています。
王子も姫も実は生き延びていて、国から逃げ出し、後には放心した王と死んだ王妃だけがいて、テレメーヌは全てを諦めた顔で自分がかけていた襷を舞台に下がっているオブジェに引っかけエノーヌと共に立ち去ります。
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
寺山修司の短歌をテレメーヌは最後に言い残し、舞台は終わります。

テレメーヌが王と王妃にイポリットとアリシーの最期を報告する場面はとんでもない一人長台詞、身体表現で、髙橋洋さんの演技力が全面に出ていました。

風刺的な側面(権力を持つべきでないものが権力を持つことへの批判)が最後に直接的に出てきて、そうした演出の仕方(と強引なややハッピーエンド)はあんまり自分は好きじゃないなぁと思いました。
演出家の提示したいメッセージが『フェードル』という題材に合ってないというか、そのメッセージは別の話で出せばよいのでは‥…という気持ちが残る。
ただ、終盤の目をかっぴらいて悲劇を告げる髙橋洋の演技は忘れられなかった。

原典読むとフェードル自体が天災(災厄)というより、恋という感情自体がコントロールできない災害のようなもの、というように思えたので、舞台版で王子と姫を生き残らせ、フェードルという個人が悪い、と見えるようにしちゃったのは何だかなぁと思います。